見出し画像

場面緘黙症①

私は自我が芽生えたのが小学校2年生の時でした。
ここでの自我とは、私が私であると認識する事を指しています。
それまでは自分が何者であるかもわかっておらず、ただひたすら目の前にある事をこなしていたと言っても過言ではなかったと思います。

そんな2年生のある日、いつも声をかけてくれるクラスメイトに「ままご(私の名前)、1年生の時も話しかけても無視してたよね」と言われて驚いたのがきっかけです。

それまで、自分としては普通に生きていたと思っていました。特に無視した覚えもありません。当時、一生懸命考えてたどり着いた答えが「もしかしたら私、喋れてなかった??」でした。

そして、私はそう言えばなんで(特に学校や習い事など外で)喋れないんだろうと思いました。
知らない高学年のお兄さんお姉さんから「あいうえおって言ってごらん」と何人も声をかけられていたので、今思うと何も喋らないので学校中で目立っていたんだなと思います。

そして、それが場面緘黙症で適切な大人の手を借りなければ二次的なモノがまた発症してしまう事を私も、また私の家族も誰も知りませんでした。
(私は遺伝的に因子を持っていたためナルコレプシーを発症してしまいました。)

時は昭和ですから、心療内科に行くという発想は皆無でした。
そんな中、幼いながら私は毎年、自分自身の中に目標を立て、それからメキメキとコミュニケーションを取るようになりました。

この時はまだ知りませんでしたが、私が養護教諭として勤めた学校には同じように場面緘黙の子がいましたが、私のように「なんで喋れないの?!喋りたい!!」という子はいませんでした。
私は場面緘黙の中でも少し変わったタイプなのかもしれません。
とはいえ、少しはコミュニケーションを取りたいはず…
もしもコレを読んでいらっしゃるのが保護者の方でしたら、場面緘黙を治すというのは本人の意思が一番大切である事、なぜ場面緘黙になってしまったのか根本を知り解決させる事、この2つが重要になってきます。
どうか、学校での発言や外での挨拶などが上手くいかなくても叱らないでください。
叱られなくても、心の中で自責の念にかられ、深く深く傷ついているからです。

長くなってしまいましたので、根本を知り解決させる方法はこちら↓↓↓
本人サイドと支援サイドに分けて書きました。
支援者の方は両方ともお読みいただけるとよくわかるかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?