お天道さまの名前はアキオ
僕の名前は「和夫」。
よくある名前だが、読み方と漢字の字面の良さ、そして何より苗字とのバランスが気に入っている。
お気に入りの名前であるが、今まで三度読み間違えられたことがあった。
しかも節目の時ばかり。
初回は高校に入学して最初のホームルームの時だった。担任の教師から名前を「アキオ」と読み間違えられた。僕は一呼吸おいて静かに「和夫です」と言った。
クラス中に笑いが起き、少し張りつめていた雰囲気が一気に和らいだ。
二回目は初回から七年後の入社式の時だった。司会者から名前をまた「アキオ」と読み間違えられた。僕は今度も初回と同じ様に一呼吸おいて静かに「和夫です」と言った。
高校の時と違って今回は雰囲気が悪くなった。
僕は社会人としての対応を誤ったことを悟った。
そして疑問を持った。
「一度ならず二度もなぜ人生の大切な節目の時にアキオなる者が現れてくるのか?」。
これは絶対何かあると思い、先祖にアキオという呼び名の人物がいたかどうか調べた。
しかし、該当する人はいなかった。
かくなる上は「二度あることは三度ある」の言葉が示すように、来る三回目の読み間違えに対して、万全の対策をして臨もうと僕は考えた。そして社会人としてあらゆるTPOに応じた対策を練り上げた。
僕が熟考して作った対策の肝は「アキオ」の存在を認め、大切にすることだった。
「節目の時に同じ名前で現れてくる人は大切にしなければならない」と決めた僕は、アキオを自分の「お天道さま」と位置付けた。
「お天道さまは何でもお見通し」。
だから、お天道さまに恥じない言動を心掛けた。
僕は生来、真面目で落ち着いた性格ではあるが、ごくたまに調子に乗って不用意な言動をして顰蹙を買うことがあった。
高校入学時や就職時の高揚した気分が、まさにその危険性を大いに孕んでいた。
僕は対策を考えている時にそのことに気付き、名前の読み間違えはアキオが注意を喚起してくれたのだと思って感謝した。
そして不用意な言動を厳に慎んだ。
そのお陰か、しばらくアキオは僕の人生の節目の時には現れなかった。
アキオの三回目の出現は、二回目から実に二十三年後の社外のセミナーで講師を務めた時だった。この時も二回目と同様、司会者から紹介された際に名前をまた「アキオ」と読み間違えられた。
僕はこの時、間違った読み方を訂正しなかった。
僕は受講生に向かって爽やかに正しい名前で自己紹介をした。受講生は誰一人、僕が名前を読み間違えられたことに気付かなかった。
「これで良いですか?」。
僕は自分をどこかで見てくれているアキオに聞いた。
返事は聞こえてこなかったが満足だった。
それから十五年後、僕は定年を機に退職した。
アキオが今度いつ現れるのか、僕は密かに楽しみにしている。
<了>