保苅実。ミノ、というニックネーム。
「あ、姉ちゃん、俺、みんなからミノって呼ばれるようになったから」
オーストラリアに留学してどのくらいたってからのことだろう。英語でMinoruは発音しにくいから、すでにアメリカで生活していた私には、Minoというニックネームはなるほどね、という感じだった。
でも、私はアイツが小さい時から、みぃちゃん、と呼んでいる。まさか、私にもミノと呼べと言ってるのではあるまいな、と一瞬身構えた。彼はそういうつもりで言ったのかもしれないが、私の表情を見て、(姉ちゃん、一蹴するな)と即座に感じたのだろう、それ以上は何も言わなかった。
当たり前だ。お前は、私にとって永久に「みぃちゃん」だ。今さら、ミノ、なんて呼べるか。そう思った。今でもそう思っている。
保苅、という姓は米どころの新潟では珍しくないようだが、穂刈だったり、保刈だったり、帆苅だったりと、漢字は違う。「保険の保、草刈正雄の刈に草かんむりがつきます」というのが私のお決まりの説明だ。
ミノルが中学生の頃だろうか、ポカリスエットがこの世に登場し、ミノルは中学で仲間たちから「ポッカ」と呼ばれていた。四つ年上の私は、ポカリスエットが爆発的に売れ出した時にはいやーな予感がしたが、クラスの悪ガキどもから「保苅!ポッカリ!」みたいなからかいを受けたことはそんなに記憶に残っていない。中学から高校、大学まで、友達は私のことを「ほーちゃん」と呼ぶ。
「ほかり」って音がキレイね、とよく言われると母がいっていたが、ひらがなで書くと、稲穂のイメージが消えてやわらかな音だけが響く。東京オフィスで働いていた時の同僚に「ほかりちゃん」と呼ばれるとき、ひらがなのまぁるい音に聞こえて、とても気持ちがよかった。
私は今でも、みぃちゃんと呼びかけるし、私の子供たちもUncle Minoではなく、Mi-Chanと呼ぶ。今年20歳の息子はミノルのことを覚えている。ミノルは、彼が生まれたばかりの時に会いにきて、全然子供なんてほしいと思わなかったのに一転して絶対に子供が欲しいと思うようになった、と友人に言ったらしい。メルボルンのホスピスに移った時、3歳だった息子を一緒に連れて行って最期の1ヶ月を一緒に過ごしたが、16歳の娘はミノルが亡くなってから妊娠して生まれた子だ。ちなみに、彼女のミドルネームは、Minori。
「あ、姉ちゃん、俺、みんなからミノって呼ばれるようになったから」
そう言った時の、彼の表情。経済学専攻だった彼が、一橋大学時代に学生ビジネスにも手を染め、どんな一流企業へも就職できたはずの彼が、辿り着いた新しい世界で、仲間達から新しいニックネームをもらった。ミノというニックネームとともに彼の研究者としての新しい人生が始まった、そんな興奮と期待でいっぱいだったに違いない。
でも、私にとって彼は永遠に、みぃちゃん、である。よくもまぁ、私にまでミノと呼ばせようとしたな。おいっ!それとも、その興奮と期待を私に伝えたかっただけだったのか。