私はとにかく書くことが好きで、日記だブログだと中学時代からあちこちに書きまくっていた。2003年のブログは不特定多数相手に書いていたのだけど、弟のミノルには近況を知らせるような気分で、URLを教えた。
このブログのことは誰にも言うなと言ってあったのに、亡くなってから、彼の元カノが読んでいたことがわかり、もしもまた書くことになったら知らせてください、と連絡が来たのだけれど、怒る相手はもうこの世にいなかった。
2003年ということは、彼が亡くなる1年半前。彼は32歳。私は36歳。長男を産んだのが2001年。
これにミノルがすぐに反応したらしい。翌日のブログにミノルの反応が書いてある。
彼が言ってることはよくわかる。私も同意見。あれから20年近く。55歳の私は老いをそのまま素直に受けとめ、グレイヘアを楽しんでいる。
「学者の世界」は変わったでしょうか。
私は、今の時代を反映した価値観で、時代背景を考慮せずに過去の現象を糺弾する最近の傾向を苦々しく見ている。ミノルは、そういうのも「歴史実践」の範疇に入れるんだろうか。「歴史実践」の結果どうするかっていうのが問題だけど、そういう行為そのものは「歴史実践」になるんだろう、きっと。
ジェファソンの銅像が撤去されるように、まさかこの記事のせいで、「ラディカル」が、本屋の店頭からフェミニストによって撤去されるなんてことになりませぬよう。