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平和とは

8月15日

この時期になると、毎年戦争に関するテレビを観て今一度考え直す

最近旅について考える機会があり、2年前のヨーロッパ旅行がダークツーリズムだったなと思い、当時の日記を読み返した

アンネの家@アムステルダム

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アンネ、そしてアンネの父オットーの気持ち、それは被害者側からみた歴史。実際隠れ家に行って、その狭さと足音を立ててはいけないだと多くの規制によるストレスの中での生活。アンネの小説家、ジャーナリストとしての夢を、死後2年後父親であるオットーが叶えた。1人の被害者からみた第二次世界大戦という残酷な戦争。普通に過ごしたいだけなのに、ユダヤ人という理由で夢を閉ざされたアンネ。実際アンネもユダヤ人としてではなく1人の人間として生きられるようになりたいと言っていた。

ベルリンの壁@ドイツ

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ベルリンの壁では、道の向こう側にいる人が、同じ民族同じ言語を話すだけなのにエリアで物理的に分けられてしまうことを想像したときに恐ろしくなった。そしてそれが今北朝鮮と韓国で起きていると思うと、この出来事は決して過去の出来事ではないということを考えさせられる。実際この旅で何度も国境をバスで超えたからこそその不自然さを実感。ベルリンの壁は有名な絵があるところや、旧ゲシュタポの集会所になっているとこもあった。EUは人、もの、金の自由が言われているが、ベルリンでは人道的に壁を作った。そして、それはアメリカとソ連という他国によるもの。

アウシュビッツ収容所@ポーランド

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もちろん胸が張り裂けそうになるような写真や物はたくさんあった。メガネや義足、鞄、所持品の山。ガツ室で使われたガスは殺虫剤。その殺虫剤の缶の山。1番頭から離れないのは、収容された人たちの写真が並んでる廊下。みんな統一された服を着て、髪を女性に限らず短くされ、その表情は絶望そのもの。というより、感情がないように見えた。収容所での残酷な事態の前に、アウシュビッツに連れてこられるまでの列車で既に疲れ切っているのであろう。列車から出た時外が明るすぎて目が開けられないほどだったらしい。収容所につくと、労働力が否かで2つに分けられた。労働力とみなされない場合はガツ室に入れられた。10分もしないうちに悲鳴は聞こえなくなるらしい。そしてその死体を処理するのも収容者。その収容者もいずれ殺された。労働力と認められた場合、過重労働をさせられた。アウシュビッツは夏は暑くて冬は寒い。にも関わらず、服は布切れ一枚。ベットはシングルを複数人でシェア。トイレも規制された。食べ物は具のないスープとパン一切れ。収容者のほとんどはユダヤ教徒だか、他にも同性愛者や障害者、ジプシーも対象だった。ガツ室に行った時人々の叫びが聞こえた気がした。人としての権利を全て奪われ人が人を大量虐殺していくホロコースト。高校1年生の世界史の授業で習ったのが始まりだったがまさかここまでとは想像もできないことだった。

収容所に着いてすぐガツ室で殺される人生と奴隷のように過重労働をさせられる人生、どっちの方がよかったのかな。どっちがいいとか悪いとかではなく、この事態を招いてしまった戦争そのものを批判しなくてはいけないと思う。

悲しみというより心がからっぽになる。思い出すと頭が痛くなる。どうしてあんなことできたんだろう。民意って怖いなって。日本も世界大戦の時同じようなことを行っていた。東南アジアや中国、韓国側から私は歴史を学びたい。その気持ちがより強くなった。そららの地域の友達もできたからこそその想いは一層強くなった。

アウシュビッツの敷地はあまりにも広大で、周りに本当に何もなくて、そのからっぽさが逆に胸を苦しめた。英語のツアーに参加した。おそらく100%を理解することはできなかっただろう。しかし最後『これを行ったのはモンスターではなく普通の人たち。二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。だが今の世の中も同じようなことが繰り返される可能性は往々にしてある。そのために私たちは歴史を学ばなくてはならない。』この言葉は言語の壁を超えて私の心に直接訴えかけてきた。英語で聞いたからこそ一つ一つのガイドさんの言葉を頭の中でかみ砕くことができた。

戦争についてわかってるつもりだった。資料は読んできたし学んできた。でも、実際その地に行かなければ感じることができないことがある。歴史を暗記科目と捉えることをどうかやめてほしい。歴史を学ぶことは未来の生き方を学ぶということ。過去のことは変えられないけど未来なら変えられる。同じことを失敗しないために私たちは歴史を学ぶ必要がある。そしてそれを人事だと思ってはいけない。アウシュビッツ、日本の軍人の例のように彼らがサイコパスだったわけではない。国、政府、そしてその状況が彼らを追い込んだ。ストッパーが効かなくなってから気づくのでは遅い。みんながやってるから大丈夫という考えではだめ。

歴史を学ぶ私たちは何ができるだろうか。過去の失敗から学び生かさなくてはならない。この出来事はあまりにも自分とはかけ離れていて関係のないことのように思える。だが、行動心理として同じことをできてしまうというかしてしまってはいないだろうか。周りがやってるから大丈夫、もしやらなかったら仲間外れにされてしまう。間違ってることはわかってるけど、もしそれを指摘したら異端と思われないだろうか。

留学に来て、いろんな人と出会って生活していくうちに以前よりも周りのことを気にしなくなってきたように思える。自分のやりたいように、したいように自由に生きることができている。それがどんなに幸せなことで、世界的にみたら私は上位7%くらいに位置しているのかも。家族、友達、環境全てに感謝して将来何をやりたいのか、どんな役に立ちたいのか後期ではそこを深めていきたい。


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世界遺産ゼミでも、世界遺産は平和の礎で学ぶことが平和につながると学んだ

私たちは目を背けてはいけない

過去のものとして終わらせてはいけない

未来への糧として学び、伝えていく必要がある

その必要性も含めて教えられる人になりたい


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