「"推し"なんて公言しない方がよくない?」
「だって、ヘタに誰々を推してます〜とか周囲に言うと、その推しが炎上したときに自分の見る目も疑われそうじゃん。推しとか言わないに越したことはないでしょ。推しがいる人たちはその辺心配にならないのかね?」
その人の発言に、私は「おおお」という、肯定とも否定ともとれないような相槌しか打てなかった。
頭のなかで、「同意はしないけど…その考え方は分からなくもないな…」と思う自分と「そんなことを考えるな推しを信じろ!!(圧)」という自分とが五分五分のパワーでせめぎ合っていて、言葉が出なかったのだ。
冒頭の発言の主は私より2〜3歳年上で、友達というには少し距離のある相手だ。
確か、「大人になってからの趣味」みたいな内容で雑談をしていたときだったと思う。最近は推しとか◯◯沼とかって言葉も浸透しましたよね〜というようなやりとりの流れで、その人から「思うんだけど…ぶっちゃけ、推しなんて公言しない方がよくない?」という発言があったのだった。
もちろん私としても、「誰々を推している」と公言する方がいい、しないのが悪、などというつもりは一切ない。
言いたい人は言い、言いたくない人は言わなければいい、それだけの話だ。そもそも世の中には推しのいない人、推しの有無とかどうでもいい人、推しのために生きる〜みたいなノリ意味分からんうっとうしいわ、という人だっているだろう。
ただ「言わないに越したことはない」という主張には、どうにもモヤモヤする。言わない方がいいかどうかなんてその人次第じゃないの。炎上して以降おおっぴらに好きと言いづらくなったとかはそりゃあ、あるかもしれないけど…。
一方で、その人の言うことが「分からなくもない」のは、やはり「もし自分の推しが炎上したら」という不安が頭をかすめるからなのだろう。
このご時世、何を火種にされ、焚き付けられるか分からない。炎上と完全に無縁でいられるジャンルもそうそうないように思う。
もし仮に、万が一、推しが炎上した場合(そんなこと考えるなとか言ったくせに結局考えてしまう)、私はまずもって平静でいられる気がしない。
「(問題はあったにせよ)まあそれでも推しのことは好きだしな」と割り切れる自信がない。
むしろ「◯◯が好きって、言いづらくなっちゃったな…」なんて思う可能性のほうが高い気がする。自意識過剰かもしれないが、誰かに「白飯さんが好きな◯◯って…ああー…炎上したアイツか…」という風に思われる場面を想像してしまう。
その後「…え?言いづらくなろうがなるまいが推しは推しじゃん」「推しのおかげで楽しい時間を過ごせた事実も消えないし」「何を考えているんだ私は」とますます落ち込んでいくのだ。
「推しがいる人間は強い」なんて言われることもあるらしいが、ファン心にはもろい部分、ゆえにめんどくさい部分も多くあると思う。
私がこうしてぐずぐず文章を書き連ねるのも、ヤワな自分をなんとか保とうとしての行動かもしれない。
めんどくさい、ヤワな自分をすぐに変えることはできずとも、推しは末永く健やかに推したいものだ。そしてこの先も、推しが幸せに、炎上することなく日々過ごせますように…と、しがないファンはただただ祈るほかない。