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『寄生獣』から考える人類と文明 闘争から共生へ、そして新たなる生命システムの誕生
Netflixで公開中の「寄生獣 ーザ・グレイー」は、韓国人のクリエイターが中心となって製作されたことから、わが国の原作マンガやアニメ作品との間に非常に興味深い「差異」が現れたと思う。(日本版実写映画は未見)
ネトフリ韓国版の主人公が悲惨な過去を持つ女性・スイン、マンガ・アニメ日本版は中流家庭の平凡な男子高校生・泉新一という、キャラ設定自体にすでにそれぞれの国民性が映し出されているとも言えるが、主人公とその肉体に寄生する謎の生命体との関係性に、日本と韓国それぞれの社会が持つ特質、病理のようなものを垣間見ることができる。
(以下、ネタバレあり!)
人間の肉体に異なる生命体が侵入し、人体が乗っ取られる話は、SF作品に古くからあるアイデアだ。
「SF/ボディ・スナッチャー」(1978)、「遊星からの物体X」(1982)、「ヒドゥン」(1987)など、B級SF映画では定番的なテーマともなっている。
日本SF界の巨人、筒井康隆先生も短編「トラブル」で、同様のアイデアを壮絶な血みどろドタバタ劇に仕上げていた。
「寄生獣」も、基本的にはこの人体乗っ取り系に連なる作品なのだが、過去作と大きく異なるのは、主人公に寄生する生命体が人体乗っ取りに失敗、人間と協力して生きていかざるをえなくなる点だろう。
人間と寄生する生命体のコミュニケーションが物語の重要なカギとなるのだ。
そしてこのコミュニケーションのあり方に、韓国版と日本版の「差異」が見て取れる。
日本版では、主人公の脳を奪えず、右手を奪うにとどまった寄生生物「ミギー」と少年「シンイチ」が、文字通り顔を突き合わして直接、会話する場面が数多く描かれる。
敵となる他の寄生生物との戦闘においても、ミギーとシンイチは常に話し合い、作戦を立て、協力し合って戦うことになる。
韓国版の寄生生物「ハイジ」と女性「スイン」の関係は、片方が起きている時は、もう片方は眠っているため、交換日記や録画、夢の中での会話という、間接的なコミュニケーションとなり、戦闘場面もハイジの独壇場となる。
不幸な生い立ちながら健気に生きるスインは、正義感は強いものの、寄生生物の中でも最強レベルのハイジとは好対照の無力ではかなげな女性であり、半身を分け合った二つの生命がミステリーの古典的名作「ジキル博士とハイド氏」の二重人格のように入れ替わる展開が韓国版ストーリーの妙味となっている。
寄生生物が見た日韓の政治権力
軍事独裁から親北中道左派まで政権がダイナミックに入れ替わり、前言撤回、朝令暮改、元大統領も逮捕投獄、寄生生物の触手のように上下左右に目まぐるしく社会がひっくり返る、お隣り韓国。
(今まさに不正まみれの「タマネギ男」こと元法相が懲役2年の実刑判決にも関わらず、新党結成大人気躍進中である)
とにかく変化や刷新を嫌い、話し合い(談合)で競争を回避(カルテル)、憲法から原発まで不合理な旧体制旧モデルの現状維持に全身全霊で勤しむ、わが国日本。
韓国と日本、それぞれの国民性、社会風土が、寄生生物との関係にも表れているように見える。
これは作中に登場する「政治家」の姿に注目すると、よりはっきりとするだろう。
日本版では東福山市長・広川が、何と人間のまま寄生生物と結託して市政をつかさどる。
広川市長は地球を汚染し続ける人類を憎悪し、地球環境のバランスを維持するためなら寄生生物に人間を餌として与えることも辞さない過激な環境保護思想の持主。
彼は寄生生物のグループと談合して、東福山市民を欺き、共通の利益のため寄生生物の人類捕食計画をサポートする。
日本の現実に目を向ければ、業界団体、宗教団体という社会の「寄生生物」と政権与党内の愛国政治家の関係そのままであり、これを戯画と笑い飛ばすこともできないはずだ。
対して、韓国版ではあまりにストレートな表現に、思わず笑ってしまうかもしれない。
ハイジとスインの敵となる寄生生物は、最初は神父に寄生し、続いて警察官に移動、最後は次期大統領候補と入れ替わろうと画策する。
パッと首をすげ替えれば社会的地位が上がり、トップに立てば何でも思い通りになる。
寄生生物が、韓国社会をそのように見て行動するのは興味深い。
そこには、総理大臣になったくらいでは何も変えられない日本とは異なる政治的なリアリティーが感じられる。
日本の政治家は基本的に圧力団体の回し者か省庁の操り人形なので、もし寄生生物が寄生するとしたらそちら側になるだろう。
日本版で最強の寄生生物「後藤」が、自らは権力を求めず、広川市長の支援に徹するのは理に適っている。
トップに立っても苦労するばかりで、老舗高級料亭には行けても人間を食っている暇はないからだ。
韓国版「寄生獣ーザ・グレイー」の成功により、他の国でも自国版が生まれる可能性もある。
人類に寄生する生命体とどう付き合うか、手アカのついたテーマながら自由度が高く、クリエイターの腕が試される優れたコンテンツである。
各国の国民性、社会が現在抱えている諸問題なども反映しやすい作品であり、日本版、韓国版の続編も含めて今後の展開が期待される。
それはそれとして────。
「寄生獣」という作品には、もっと根源的な問題が表現されていると思う。
生命にとって寄生とは何か?
われわれが住むニンゲン社会も、ミギーとシンイチ、ハイジとスインのように、寄生の結果生まれた「生物」なのではないか?
後編では、これについて考えてみたい。
(つづく)