Asian hateについて
記事を読んだり、動画を見るだけで、自分がとても苦しくなってしまうので、アジアンであるみんなに苦しんでほしくないから、
情報は取捨選択して、吸収するのは自分がほしい情報だけでできる限り健全な精神でいてほしいと言うのがまず前提です
その上で思ったことを書いてみるね
個が個でいて、社会が個の集団である限り、差別も偏見も無くなることはないのだろうなと思うし、いじめや性犯罪、女性蔑視が根強く無くならないのも、充分な教育や育成環境が全ての人に与えられない限り、そのひとに生まれる感情を無くすことはできないなと思っている
でも、それで諦めて良いわけではなくて、苦しんだ人や、生きるべき未来と大切な家族と、待っていた筈のたくさんの幸せを失った、尊い尊い命の為に、ぼくたちは、繰り返さないための行動をすべきだと思う
先述のように、歩んできた人生の違う相手の考えを変えるのは難しくて、ぼくたちはまず、ぼくたちを守ってそれから、隣にいる大切な命を守る行動をしていけたら良い
戦うのは、守れてからで構わない。もちろん、すぐに戦えるひとは戦ったっていいけれど、みんながみんな強い訳じゃないから
そして、守ることができたら、次は教えるということができる
差別的な感情のもとになる、他人と自分とは違うと言う意識が芽生えたとしても、それが嫌悪や憎悪に育つか、認めるための器に育つかは、教育に影響される
これから生まれる命に、これから育つ世界に対し、ぼくたちは多様性を教えて、違いを魅力として捉えられる心に水をやれたらいい
違いを知ることは新しいものとの出会いであって、本来、ウキウキして出会えたらいいのに
ぼくたちは、違いを知ることを新しい価値観との出会いとして迎え、違いを魅力として歓び、その魅力を愛をもって受け入れ、たとえ受け入れなくても「理解する」「その存在を認める」ことはできるはずなのだから
そうやって、そうやって、生きていけたら良い
たくさんの未来や幸せが待っていたはずのかけがえのない命たちへ、今回の事件だけでなく、死ぬ理由なんてひとつもないのに、失われてしまったぼくたちへ、愛を込めて
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