言葉のチカラ。
すこし前のこと。
子どもの頃からお世話になっていた整形外科が閉院しました。
先天的なものがあり、どうしても足や腰等を痛めてしまうことが多くなってしまうため、その治療・検査、そして定期健診でお世話になっていた病院です。
院長先生はいつも『白シャツ・白衣』がお決まりのスタイル。
グレイヘアの髪の毛はいつもとても綺麗に整えられていました。
見た目の雰囲気がすこし祖父に似ていたことから、ちびっこumeは「おじいちゃんせんせい」と呼ぶようになります。
おそらく…当時はまだそこまで「おじいちゃん」ではなかったと思いますが、我が家ではそのまま「おじいちゃんせんせい」という呼び方が定着しました。
もちろん。面と向かって「おじいちゃん」「おじいちゃん」呼んでいたわけではなく、「おじいちゃんせんせいのところ行くよ」とか「おじいちゃんせんせいが○○って言ってたよ」みたいな感じです。
(今更ながら。せんせい…勝手に「おじいちゃん」呼びしてごめんなさい。)
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おじいちゃんせんせいは、基本的に全て自分一人でなにもかもやってしまう人。もちろん看護師さんがいますがあくまでもサポート役です。
検査の準備等も基本的にはお一人で、常にテキパキ動いていらっしゃいます。
患者さんを呼ぶときは、必ず診察室のドアをあけて、先生自ら患者さんの名前を呼んでくださいます。
そして。
「はい。こんにちは」と診察室に招いてくださいます。最後にドアを閉めるのはいつもおじいちゃんせんせい。
申し訳ないのでこちらが閉めようとしても「はいはい。どうぞ座って座って」と椅子に座るようすすめられます。だから誰もドアを閉めることはできません。
ドアはおじいちゃんせんせいだけのものです。
おじいちゃんせんせいも椅子に座ると、こちらの症状を聞きながら世間話のような感じでいろいろと話を聞いてくださいます。
今思えば、何気ない会話の中から現在の症状につながるもの等をみてくださっていたのかもしれません。
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おじいちゃんせんせいに一番お世話になったのは、保育学生から保育士1〜2年目あたりだったと思います。
あまりイメージがないかもしれませんが、保育士はとにかく体を使う仕事です。
『体力勝負!』みたいなところもあるかもしれません。
小さい頃から体が弱く、そして先天的なものを抱えているわたしが保育士になる。
「やめておいた方が良いと思うけどね」
そう言われました。
近所の整形外科の先生に。
おじいちゃんせんせいの病院は、他の病院に比べて午後の診察終了時間が早め。
引っ越しをしてしばらく通えなくなり、再び通えるような地域に引っ越してきたものの「とても近くてすぐ行ける場所」とは言えない距離。
タイミング的になかなかおじいちゃんせんせいのところへは行けません。
でも、検診も含めて定期的に通う必要があるため、基本はおじいちゃんせんせいのところと決めつつ、近所の整形外科でもお世話になっていました。
「やめておいた方が良いと思うけどね」
「保育士は大変な仕事だよ」
医師として、今後の状況を的確に判断した言葉だと思います。わたしのことを思って言ってくださっているのだと思います。
分かっています。
もちろん分かっています。
保育士になりたい。
そう思いはじめた子どもの頃は分からなかったけれど、成長と共に気付きます。
わたしには難しいチャレンジであることを。
でも。
でもでも。
でも!
往生際悪く、でもでも・・・を重ねながら…保育士への道をひたすら歩いていました。
歩き続けて、やっとやっと保育士に。
保育士1年目。
やはり、さまざまな症状が出始めます。休憩時間も取れず、お昼ご飯もままなりません。
心身共に疲れ果てる中で、痛み等が容赦なくやってきます。
わたしが、健康な人と同じようにやろうとすればそうなります。当たり前です。
がむしゃらに、そしてそれ以上にがんばろうとすればするほどダメになる。
そんな当たり前のことに気付くことができないほどに疲れていました。
足や腰の痛みもだんだんと強くなり、いつもならひどくなる前に早めに…と病院に行くような状況でも絶対に行きませんでした。
「ほらね」
「やっぱり」
「だから言ったでしょ」
そう言われるのが嫌でした。
ただの意地。
そんな意地なんて自分を苦しめるだけなのに。
やはりわたしには保育士は向いてない。
わたしの体では保育士はできない。
保育士は辞めた方がいいよね。
なんて。
勝手に悲劇のヒロインになって落ち込みながらも辞めませんでした。
どうしても辞めたくなかった。
意地もあったと思います。
いや。意地しかなかったかもしれません。
そしてやはり、自分の夢だから。
できるところまでとことんやり切りたい、という想いが自分の心の中にどーんと居座っていました。
でも。
痛い。
困った。
でもでも近所の整形外科は行きたくない。
厄介な頑固者。
自分でもそう思います。
***
なんとかなんとかシフトを調整し、やっとの思いでおじいちゃんせんせいのところに行きます。
そして。いつものように待合室に呼びにきてくださるせんせい。
現在の症状について確認しながら、近況についてあれこれおしゃべり。
予想外の言葉。
さすがのおじいちゃんせんせいも、わたしの今のこの状況をみたら「もう保育士をやめた方が良いよ」と言うだろうな…そう覚悟をしていました。
意地をはって、頑なになっていた心がふわっと柔らかくなっていくような感覚。
おじいちゃんせんせいの言葉に大きな力をもらいました。
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「がんばりなさいよ」
医師の言葉としては、少々無責任な言葉のように感じるかもしれません。
このまま続けたらどうなるか?
分かっている上での言葉ですから。
でも。
この言葉は、わたしへの言葉です。
わたしとの会話の中で、わたしに必要だと思う言葉をくださったのだと思います。
わたしのことを理解してくださった上での言葉だと思います。
そしてきちんとサポートしてくださっています。
決して。無責任な言葉ではないとわたしは思っています。
穏やかな笑顔のおじいちゃんせんせいと話していると、もうそれだけで痛みがなくなっていく感覚があります。
おじいちゃんせんせいは不思議なチカラを持っているのかもしれません。
せんせいの言葉のおかげで、自分の夢を諦めることなく、保育士としての道を歩き続けることができました。
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おじいちゃんせんせいの病院はずっとアナログ。
予約や問い合わせ等、全て電話。
あとは待合室や受付の掲示版。臨時休診や夏休み等、定期的に通院しているか、もしくは受付に電話をしないと分からない。通院の間隔があいてる場合は本当に全く分からない状況。
とても大事なお知らせも分からない。
例のアレの影響で、おじいちゃんせんせいの病院の午後の診察時間はさらに短くなっていました。
なかなかタイミングがあわない中で、少し足の痛みがあり、かなり久しぶりに連絡をしました。
「実は来週でおしまいなんです。」
受付さんによると、おじいちゃんせんせいの体調等が良くない…ということではないそうです。
もちろん病院側が本当のことを言うことはないと思います。
でも、こちらもそれ以上聞くことはしません。
だから真実は分からないですが「自分が長くお世話になった病院が来週で終わり」ということは揺るがない事実です。
急なことで予定的にタイミングがあわず、最後におじいちゃんせんせいにお会いすることはできませんでした。
おじいちゃんせんせいの病院は閉院しました。
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「がんばりなさいよ」
おじいちゃんせんせいの言葉には、何か不思議な力が宿っているように感じます。
病院はなくなってしまいましたが、おじいちゃんせんせいからいただいた言葉は今でもしっかりとわたしの中に残っています。