第30回 「倉橋惣三に学ぶ|おかえり」
『幼稚園真諦|倉橋惣三 著』
読むたびにあふれる気づきや学びを書き留めていきたいと思います。
この本は、昭和8年(1933年)夏の
「日本幼稚園協会保育講習会における講演の筆記」となっています。
実践からきている内容であることを踏まえると、およそ100年前の状況を見ることができると言えるのですが、知らずに読んだとしたら、現代に書かれたものだと思うほどに時を越えて響く内容です。
この第30回が
最終回となります。
第3編-10「おかえり」
流れ行く一日を大切に朝から過ごしてきた生活も、帰りの時間は違うと倉橋は言います。
このときだけは、先生の考えを強く表していくべきではないかと思います。
そうしなくてはならないと信じます。
朝「お早う」と言って、ずうっと入ってきた幼稚園、
その後に、子どもとしての疲労もありましょう。
また先生としても、思い出してみると、いろいろのこともありましょう。
心なくも子供に荒い言葉を使ったということもあるかもしれません。
あるいは子供たちに向って、つい言わなくてもいい、理屈っぽいことも言ったかもしれません。
そこで子供の方の一日の生活の始末についても、また子供に対する先生の感じからいっても、一日の幼稚園が終って、別れる前に、ぜひ納めをつけておきたいと思うことのあるのは、だれでものことでありましょう。(P128)
来たときばかり丁寧で、帰るときにはおざなりになるような、初めはお客の如く帰りはねずみの如しという人もいますが、それでは困ると。
一日の終わりを整えることが、別れの作法であり、大事な子どもたちを町へ手離す先生の心やりだと。
私は幼稚園にもシンミリとしたときがほしいと思いますが、お帰りのときは是非そうでありたいのです。(P129)
身なりを整え、丁寧に挨拶して落ち着いた状態で帰る。
幼稚園にいる間は、幼稚園にいることを忘れさせたいが、帰るときには幼稚園から帰るらしい感じを、幼児なりにも持たせたいと思うのです。(P129)
ただし、「今日も一日済みました」と機械的に歌わせて帰らせるような紋切型の帰らせ方は倉橋は大嫌いだそうです。
1人ひとりと挨拶をして、時間をかけて、
「今日は〇〇がおもしろかった」
「誰々と喧嘩した」
など、やわらかい気持ちで一日を思い出して、
足取りも静かに帰れるようにしたいと。
そういう心がけは、初めは誰でもする。
しかし、一日いっぱいの生活で先生も疲れ、子どもも疲れ、そこまでの丁寧さを保てないことも実際はあるでしょうと。
お察しはしますが、貴い一日の幼稚園の終りです。よく心を入れてやりたいと思います。(P130)
子どもにとってのお帰りの時間も大切ですが、先生にとっても、このときの心持ちは、保育者としての修業の極く大切だと言います。
いたずらにあわただしく騒々しくては、日々の保育の反省も余韻もあり得ますまい。それでは、保育がただのくたびれ仕事に終ったりします。味気ないことです。(P130)
「終りに」より
この真諦は必ずしも1930年代の新説ではないと。
序文に記してある「身を幼稚園に置くこと久しい。疑惑と攻究と、また、いつも付きまとう遅躊とを経て、やっとここに落ち着いた考えである」という言葉。
この小さい自信は、今日も変らない。また、初版当時新しいと危ぶまれたものが、今日こそよく了解せられると信ずる。
ただ未だ広く実現せられていないことを憂うる。
教育の思想は実行せられてのみ初めて生きる。(P131)
胸に迫る言葉である。
その後、現代の保育指針や教育要領の軸となっていることを倉橋に届けたいと思う。
目指した未来とは沿わない現場があることを憂うだろうが、私たちがバトンを受け継いで、今を生き、未来へ紡いでいく覚悟を伝えたい。
『幼稚園真諦』の最後の文を引用させていただき、全30回の「倉橋惣三に学ぶ」を締める。
真諦とは勿体ぶったような語であるが、ほんとうの道というだけのこころである。
世のすべてのほんとうの道は、あたりまえの道である。
すなわち、本書の語るところ、学問の説を藉(か)りず、学問の言を引かず、ひたすら、人間常識と幼児生活の尊重との間に、当然の保育道を見出したに過ぎない。
近頃(1930年代)宣伝される新保育でも、輸入保育でもない。(P132)
ー完ー
倉橋 惣三|くらはし そうぞう
1882年(明治15年) - 1955年(昭和30年)
静岡で生まれ小学生のときに上京。
フレーベルに影響を受け、日本の保育や幼児教育の礎を築いた人物。
日本での“幼児教育の父”、“日本のフレーベル”と呼ばれている。
食べることが好きで、幼稚園真諦の本文中に出てくる例えでは、「食事」が用いられることが多い。
享年72歳。
[参考文献]
・倉橋惣三 「幼稚園真諦」(フレーベル館・1976年初版発行)