第17回 「倉橋惣三に学ぶ|保育案と自由遊び」
『幼稚園真諦|倉橋惣三 著』
読むたびにあふれる気づきや学びを書き留めていきたいと思います。
この本は、昭和8年(1933年)夏の
「日本幼稚園協会保育講習会における講演の筆記」となっています。
実践からきている内容であることを踏まえると、およそ100年前の状況を見ることができると言えるのですが、知らずに読んだとしたら、現代に書かれたものだと思うほどに時を越えて響く内容です。
第17回は、
自由遊びのとらえ方が
テーマとなっています。
第2編-7 「保育案と自由遊び」
従来の保育案は自由遊びと区別せられたものでした。自由遊びは子供の自由、保育案はきちんとしたものというふうでした。しかもこれは至極幼稚園らしくないことであります。(P90)
昭和初期と同じ課題が、平成・令和でも残っているとでも言いましょうか。
私自身は、本来「遊び」は自由な要素があるはずなので、「自由遊び」という言葉に違和感を感じるタイプなのですが、自由遊びと誘導保育案(子どもから出発する子どもが主体的に生活する長期的な計画で常の軸となるもの)と自由遊びは極めて密接自然の関係にあると倉橋は言っています。
どちらかといえば、現代でも自由遊びと呼ばれる時間と主たる活動が区別されている現場が多いと思いますので、倉橋がタイムスリップしてきたら卒倒するかもしれませんね。
それは半分冗談としても、保育案と子どもの生活の関係にしっかりと向き合い、問いを立て続けることが全ての現場に必要だと思っています。
生活という意味においては二者が少しも変わらないものになります。それでこそ生活保育の幼稚園の妙味ではありますまいか。(P90)
自由遊びが主たる活動につながっていく(その日の保育案になくても)、保育案に入っている主たる活動が自由遊びに影響を与えていく。
そんな保育のあり方にシフトをしていこうと、昭和初期に倉橋は主張していたのですが、戦後、保育者主導の保育へと戻っていった、戻らざるを得なかった背景がある。
そして、今、保育界も過渡期を迎え、変化のうねりが起き始めている。
時代は変われど、本質は変わらず。
今こそ、倉橋たちのつくりたかった未来をともにみるタイミングなのだと感じています。
-第18回に続く-
倉橋 惣三|くらはし そうぞう
1882年(明治15年) - 1955年(昭和30年)
静岡で生まれ小学生のときに上京。
フレーベルに影響を受け、日本の保育や幼児教育の礎を築いた人物。
日本での“幼児教育の父”、“日本のフレーベル”と呼ばれている。
食べることが好きで、幼稚園真諦の本文中に出てくる例えでは、「食事」が用いられることが多い。
享年72歳。
[参考文献]
・倉橋惣三 「幼稚園真諦」(フレーベル館・1976年初版発行)