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#67 想いと実践のズレは「保育計画」にも現れる

ある日の2歳児クラス

2歳児クラス・小麦粉の探求

小麦粉粘土の計画の打合せで、子どもたちに始めのうちは「粘土」という言葉を使わないことにしてみました。

小麦粉そのものの特徴。水を加えることでの変化。

そういった環境と出会って、子ども自身がどう意味付けるを大切にしようという意図から、「小麦粉粘土をつくってあそぼう」ではなく、「小麦粉の探求」としての環境づくりをすることにしたのです。

水をたっぷり使う子がいる一方で、「私はこれくらいがいいの」と、ちぎれる程度に調整する2歳児も。


アトリエで始まる「こむぎこ」の時間。
自分なりの、自分たちなりの世界で探求し、発見や感動を味わっていきます。


香りや音と出会う。

ボウルから紙コップへ、紙コップからボウルへ水っぽくなった状態の小麦粉を、何度も何度もうつしかえることを繰り返す。(最後の方は、注ぎ方があまりにもうまくなっていて驚きました)

パン、牛乳、クリームなど、自分たちなりの世界で見立てる。

「あったかくなってきたよ」と発見をシェアする。


最近は遊びや活動が終わりに近づくと「もっと遊びたい!」と、保育者と一悶着がある2歳児クラスの子どもたちも、この日はそれぞれが自分のタイミングで、完了感を味わいながら、晴れやかな表情で保育室へ戻っていったのでした。


想いと実践のズレは「保育計画」でも確認できる

” 私が関わる保育学生の多くは、どの講義でも、

  • 子どもから始まる保育

  • 子どもの主体を尊重する保育

  • 環境を通して行う保育

について学んできて、そんな保育を実践できる保育者になりたいと言う。

しかし、いざ計画を立ててみると、保育者が「与える・教える」要素が濃く、ほとんどの学生が保育者主導の計画をつくった。

実習は学生生活のハイライトになる分、想いと実践のギャップを広げる要因にもなりやすいのかもしれない。

子ども主体の保育をしたいと言っていても、中身は保育者のリードが濃い生活になってしまうという相談が保育士や保護者からも届くので、ギャップのある実践を学生が学んでしまうケースもあるのだろう。”

先日、Xで投稿したポストです。


実習をすべて終えた2年生の講義で、2歳児クラスで小麦粉を素材として活動計画を立ててもらったときに感じたことをポストしました。


その後、学生たちには自分の作った計画と、実際に現場で使った計画とを見比べ、最初に紹介したような2歳児クラスと1歳児クラスの小麦粉との出会いを、私の解説を入れながら動画で視聴してもらいました。

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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