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第28回 「倉橋惣三に学ぶ|生活における偶発性」

『幼稚園真諦|倉橋惣三 著』

読むたびにあふれる気づきや学びを書き留めていきたいと思います。

この本は、昭和8年(1933年)夏の

「日本幼稚園協会保育講習会における講演の筆記」となっています。

実践からきている内容であることを踏まえると、およそ100年前の状況を見ることができると言えるのですが、知らずに読んだとしたら、現代に書かれたものだと思うほどに時を越えて響く内容です。

第28回は、

幼稚園の生活の偶発性が

テーマとなります。

第3編-8「生活における偶発性」

前回までで、保育課程の実際の大体については述べられてきました。

しかし、子どもと生活していて起こることは偶発的なできごとが必ず起こります。

幼児の実際の生活を相手にしている限り、その幼稚園に起ってくるその時々の偶発事項もーー生活が生きておれば必ずいろいろの偶発が起こります。(P125)

その一つひとつを適切に扱っていかなければいけません。

レールの上を走らせる場合には、偶発事項は邪魔になりますが、流れ行く一日の生活では、岩があったからせかれ、急な勾配であったから滝つ瀬になり、というような、常の流れのコース以外に、ひょっとして思いがけない、実際の必要事件が起ってもきましょう。(P125)

子どもたちの行動を管理するような計画では、突発的に偶発的に起こることに対してイラっとする保育者が出てくるでしょう。

子どもの行動は、ひらめきや好奇心、探究心で満ちあふれているにも関わらず、レールの上を走らせようとする計画では、それを許容できない場面が増える。

しかし、「生活」に即した計画であるから、偶発的なことを終始生かすようにしていく。

保育者が予想していなかったからと言って、打ち捨ててはならない。

この意味では保育案よりも、その一日の生活課程を実際にすることの方が幼稚園として先きのことになるとも言えるかもしれないくらいです。(P125)

何をするか

の前に

生活の自然な流れを扱えることが保育者には求められるのです。

手法の方が取り入れやすく、わかりやすいため、取り上げられやすいこともあり、パッと手に入る情報は表層的になりがちです。


しかし、その前提や本質の相互理解や深める作業を通る現場がもっともっと広がっていくことが、保育者自身の前進のみならず社会的な「保育」のイメージが変わっていくことにつながるのではないでしょうか。


教養ゆたかな保育者をいかに育むか。

完ペキさを目指すのではなく、

感性、知性、品性を磨き続ける環境をいかに醸成していくか。

挑みがいのある領域です。

ー第29回に続くー

倉橋 惣三|くらはし そうぞう
1882年(明治15年) - 1955年(昭和30年)
静岡で生まれ小学生のときに上京。
フレーベルに影響を受け、日本の保育や幼児教育の礎を築いた人物。
日本での“幼児教育の父”、“日本のフレーベル”と呼ばれている。
食べることが好きで、幼稚園真諦の本文中に出てくる例えでは、「食事」が用いられることが多い。
享年72歳。

[参考文献]
・倉橋惣三 「幼稚園真諦」(フレーベル館・1976年初版発行)​


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