#50 保育における「信頼関係」

保育士等の重要な役割の一つは、保育士等と子ども一人一人との信頼関係を基盤に、さらに、子ども同士の心のつながりのある温かい集団を育てることにある。
このような互いの信頼感で結ばれた温かい集団は、いわゆる集団行動の訓練のような画一的な指導からは生まれてこない。集団の人数が何人であろうとも、その一人一人がかけがえのない存在であると捉える保育士等の姿勢から生まれてくるのである。

保育所保育指針解説|厚生労働省(2018)

【信頼関係】

保育を営むうえで、頻繁に使われる用語のひとつですね。

私たち保育者は「信頼関係」という言葉をどのような意味で扱っているのでしょうか?

保育の道を歩み出したばかりの保育者や、その現場に来てくれたばかりの保育者に対して、こんなことを言う人もいるそうです。

「子どもにまだ信頼されてないんじゃない?」

「信頼関係が築けていないから、子どもたちが話を聞かないんだよ」

この発言自体がどうなの?がまずはありますが、言われた側は焦りを生み出しやすい投げかけでもあります。

「早く信頼関係を築かなきゃ」

先輩の要求に応えようと、焦ってがんばった結果、築かれていたのは「支配による管理」だったというケースも少なくありません。怖さを使ったもの(支配だと気付きやすい)だけでなく、優しさ風味に包まれたもの(支配になっていると気付きにくい)もあります。

そして、それが正解なんだと思ってしまい、子どもが言うことを聞く=信頼関係で、それができることが保育者として有能なんだと誤った認識が固定化していくこともあります。(これは信頼ではなく保育者の子どもに対する不信がある状態です)

信頼と支配という二面性が混ざった状態

この状態では、よかれと思って身につけたことが、実は「支配のテクニック」だと気付けないまま、年月を経過していくことがあり、これはつらく悲しいことです。

支配を使った期間が長ければ長いほど、「このままではダメだ。変えたい。」と思っても、子どもが思い通りに動かす全能感や有能感が手放せず、望まない支配を繰り返すこともあります。

私たち保育者は、「信頼関係」という言葉をどのような意味で扱うことが望ましいのでしょうか?

ここで重要になってくるのは、子どもが話を聞く、落ち着いている(ように見える)状態=信頼関係とは限らないということです。

もちろん信頼関係が基盤となって、話をよく聞こうとする姿が見られたり、クラス全体が落ち着いて安定感のある状態になったりします。

一方で、支配関係でも”表面上”は似たようなことが起こりますよね。

子どもが話を聞くようになったプロセスや背景には何があるのか?

子どもが落ち着いて生活するようになるプロセスに、恐怖や優しい支配はなかっただろうか?

こういった部分と向き合わずに、「話を聞いてもらえる私とは信頼関係が築けている。話を聞いてもらえていない先生は信頼関係が築けていない」などといった見方は全くもって機能しないのです。

子どもの「できる・できない」に視点を置いたとき、信頼関係の文脈からは離れていきます。

保育者が子どもを信頼するとき

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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