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不登校の頃の話と抜け出せたきっかけ

正直これを話すのは辛いです。
でも不登校の皆さんに伝えたいことがあって
書いています。不登校からそろそろ抜け出したい、
不登校の人って何してるんだろうって思っている
人の参考になれば嬉しいなと思います。
僕はまだ中学3年生なので文章が下手かもしれません
がよろしくお願いします。

行けなくなったきっかけ


まず僕が行けなくなり始めたのは小6の頃でした。
僕には人前とかでも鼻をほじる癖があったので
それがきっかけで汚い、不潔、などの言葉を
かけられたり、自分が触ったものは嫌そうに
触られるなど、きつい目にあうことが増えて
いきました。前は一部の人だけだったのでまだ
ギリ大丈夫でしたが、だんだんそれが広まり、
ついにはほぼ全員から不潔と思われるように
なりました。僕は辛くなり学校をたまに休むように
なりました。どうみてもクセを治せなかった自分が悪いのに被害妄想に悩まされます。
今思うと自分が悪いのにおかしいですよね。
最初はなんで自分がいじめられてるのか
わかりませんでしたが、時間が経つにつれ
わかるようになり、治せるようになりました。
でも一度傷が入ったものを元に戻すのはなかなか
難しいです。その後も休んだり
教室ではなく特別支援学級だったので特別支援学級
で過ごす時間を増やしたり、していました。
そこで厳しいと思っていた支援級の先生が
クラスの皆に僕もよくわかりませんが、
僕が障害を持っていることなどを言ってくれた
みたいです。その先生はよく「原因があるんだからそんなされんだよ」と言っていて当時の自分は
お前にはわかんねえんだよと思ってました。
本当に昔の自分、前が見えてないドアホですね。
そこからはいじめられなくなり、行けるように
なり卒業できました。ですが僕はまだ学校に
恨みがあり卒業証書を破ってしまいました。
本当に思い出すたびに自分に呆れる。

中学入学、完全に


その後中学校に入学します。
いじめはなくなりましたが時々小学校時代の
嫌な記憶がフラッシュバックするようになり、
勉強にもついていけなくなり、塾にも行きましたが学校に行くだけで精一杯で限界を迎えまた行けなく
なってしまいます。塾に行ってた頃は抜毛症にも
かかっていました。(実際の画像↓)

いじられたりしてちょっと辛かったなぁ

先生が家にわざわざ訪ねてきても
僕「登下校中に小学校の在校生にいじめられる」
先生「それじゃあ車で送ろう」それでもダメで
いじめられることなく、実は馬鹿らしい被害妄想だったんです。本当に見てられん。
塾もやめましたが、結局僕は心が
破れてしまったのでまた行けなくなりました。
学校の支援室とかも試しましたが駄目で
家でゴロゴロしている日々が続きました。
大体最初は楽しい人が多いですが僕は違って、
最初からずっと怒られてばっかで辛かったです。
もう何も考えてなくてゲームやyoutubeを観て
楽しんでるだけでした。3ヶ月ほど経ち、

フリースクールへ 

母がフリースクールを見つけ、行こうか、と声をかけました。僕はこの生活が退屈だったのでまあわかったと返事しました。学校も出席扱いになり、何もない状態からとりあえずどころかに行ってるという状態になりもう本当に死んだ目をしていましたが、明るく笑うことができるようになりました。この頃は全く受験のことも考えていませんでしたが、全日制普通科に行きたいと思ってました。なのに勉強してない、高校を舐めすぎですね。最初のうちは体を慣らすつもりで2日に1回しか行っていませんでしたが、慣れ、友達もでき、毎日長い時間行けるようになりました。

2年生になり少しづつ行くように

1年生の頃の担任は若かったので不登校に
理解があり、フリースクールに行ってるからいいと
言ってくれましたが、
2年生の頃の担任はベテランの先生だったので学校に行かないといけないという考えを持っていました。僕はこんなに楽に過ごしていいのかな、という罪悪感が少しあったので、少し行って見ようと思い、6月、もう一度学校の支援室に2日に1回ほど行くようになりました。最初は朝に来て1日2時間ぐらいで帰る生活をしていてその生活から3週間たって担任の先生に「一回一週間教室で6時間」行ってみようと言われました。僕は「え?」と思いました、ですが不登校の影響で人と話すのが苦手になってしまっているので「はい」しか言えませんでした。結局僕は一週間休みました。やっと高校受験にむけて少しづつ動いているところだったので毎日親にも「もう中卒で働くしかない」と言われ将来のことを考えると眠れない一週間でした。一週間が終わり、また前のように2日に1回行くようになりました。死にたいと思うことも増えましたが、それにも慣れていき、夏休み前から毎日登校、9月ぐらいには「このままズルズルやってていいのか」と「給食を食べてみたい」と
思い少しづつ登校する時間を増やし、
9月からまずは4時間、行きました。
10月、修学旅行、奈良、京都
不登校の子は無理矢理行かされ
友達がいないので楽しめないと
ネットの情報があって不安でしたが、話せる
1年生から同級生で優しい子がいて、
班のみんなも優しくなんとか普通に楽しく
過ごせました。思い出すたびに涙が、本当に感謝
冬休み入る前には6時間行けるようになりました。
冬休み、父からそろそろ受験のこと考えてみようと
言われ、僕は言われた日から3年生になったら
通常級に戻ろうと考えるようになりました。
3学期からは自分は1日に大体3時間教室で授業を
受けるようになりました。同学年に友達も
いませんでしたが、「死にたい」と口にすることは
減り、前よりは自分に自信がついていましたが、
宿題とかが3年生になって出てしまうとまたパンク
してまた行けなくなるのを想像して不安でした。
ですがチャレンジしてみようと思い、
2年生の3月には3年生の頃には完全に行くと決意。
家族、担任、支援室の先生に伝えました。
学校が終わる1週間前に担任が
「同じクラスになりたい人はいる?」と聞かれ僕は
迷わず修学旅行のときに優しくしてくれた
1年生からの同級生の子の名前を挙げました。
また同じクラスになれたら、と思った後、
いろいろあり長く感じた2年生も終わり、春休み
父がパソコンで県の全日制高校の偏差値一覧を
調べそれを見せ、
どんなレベルか教えてくれました。僕はやっと
気づきました。このままじゃ
「通信or定時しか無理」と
気づくのが本当に遅くて呆れますね、

3年生になり、完全に登校できるように   してくれた「きっかけ」

僕は学校が始まってクラス替えの発表がありました。僕は友達がいないので、「あの子とは同じになりたい、でもマンモス校で3年連続はきついか」ぐらいしか考えていませんでした。そして発表
同じクラスになれました!本当に嬉しく、
トイレで少し泣きました。これでなんとかいけそう
と少し不安もなくなり、冬休みに目標の
「偏差値50以上の全日制に行く」という目標を
立てたのでその目標に向かって
頑張れるようになりました。テスト期間の
クラスの勉強時間ランキングでは3位になり、
俺ってカッコいいなとたまに思うように
なりました。3年になり初めてのテスト、
結果はあまりよくありませんでしたが
かなり上がっていて嬉しかったです。
人とも話せるようになり、はいしか言っていない
自分ではなくなりました!
1学期の終わりには休み時間の話し相手もでき、
学校は勉強のためだけに行っている場所から
楽しむために行く場所に変わりました。
本当に良かったです。安心して夏休みに入り、
塾で模擬試験を受けました。結果はちょうど80点、
そこまで高くはありませんが
壊滅的だと思っていたので嬉しかったです。

不登校で困っている人に言いたいこと

僕が困ってる人に言いたいのは
とにかく「目標」を立てることです。
僕も最初は何も考えておらず、学校の支援室に
すら最初は行けませんでしたが、
目標を立てた瞬間一気に「目標に向かって頑張れるように」なり完全に行けるようになりました。
夢がない人でもとりあえず
目標は立てたほうがいいと僕は思います。
お互いに目標に向かって頑張りましょう!





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