昔の話⑯
ちょっと間が空きましたが、前回の続きと言うか、番外編みたいな話。
生徒会の選挙活動をバックれた結果担任に激怒され、それをヘラヘラしながらいなしてた結果所属していた野球部の顧問(ほぼヤ〇ザ。アダ名は当時の北の総書記)に上告されコッテリ絞られた中学生の僕。
その総書記に怒られてた時の事。
その怒り方がまたヤラシイ怒り方で、高圧的に怒鳴りつけるのではなく、静かに淡々と追い詰める系のやり方でした。本当に本物なんじゃないかと思った。
で、その時に気がつかされたのが、「自分がされても平気だからといって、それを他人にはしてはいけない」ということ。当たり前のこと。
当時の僕はそれはもうアホだったので、「自分がされて嫌なことは他人にもやっちゃダメだってことはわかる。ってことは自分が平気なことは他人にしても大丈夫ってことだよな」と思ってました。そこがイコールで繋がってないってことを理解してませんでした。
どうも世の中的には、「自分の名前が書かれた紙をクシャクシャに丸めて捨てられ、それを踏みつけられると悲しい気持ちになる」のが一般的らしく(これは未だに理解できないですが)、そんなことをすると問題になってしまうようです。
個人的にはそんなこと気にしながら生きてられねぇよと思いますが、どうもこれは少数派のよう。
また、世の中的には、人は自分の知らない他人にもなるべくなら嫌われたくないと思っている人が大多数らしいことをその時教えられました(これも未だに理解はできませんが)。
「世の中は広いんだから俺みたいなヤツのことを嫌いな人間も一定数いて当たり前だろうな。何もしなくても好かれて嫌われるのが人間だよな」と個人的には考えており、それが当たり前だと思っておりましたがそれも少数派のようでした。しかもかなりの。
「お前の基準じゃなくて世の中的な基準で判断しないと多分またこーゆー事が起こるから気をつけろよ」的なことを総書記に言われたのを覚えています。
なるほどと思ったのと同時に、「そー言ってくれれば理解できたのに、なんであの担任はそれができなかったんだろう。アホなのかな?」とも思いました。
やり方はどうあれ、当時の僕の担任よりも総書記の方がやはり上手だったんだなと、それと同時に、いくら教師とは言えピンキリはあるんだなと、強く感じました。
そーゆー事があってから、より他人をじっくり観察し、分析するようになりました。「コイツはアホか?それとも賢いヤツか?」「コイツは良いヤツか?それとも悪いヤツか?」「コイツは嘘吐きか?それとも正直者か?」「コイツは良い嘘吐きか?それともただの偽善者か?」ということを常日頃から考えるようになりました。
今考えると、僕の人格形成にそこそこ影響を与えた出来事だった気がします。
しかし当時から薄々気がついてはいたものの、教師のピンキリ具合には困ったもんですね。
学校生活って、とてつもない運ゲーだったんですね。
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