考えごと日記その14 「【日本は明治維新からアメリカの不沈空母だった】→あらため→【日本は明治維新から英国と米国の不沈空母だった】という仮説から考える」
幕末明治維新をいろいろ調べていると、非常に興味深いことがつぎつぎとでてくる。岩倉使節団の旅費、全額日本の自費かと思いきや、どうも英国と仏国が渡航費を負担したという説があるようだ。(←ここはしっかり調べたい)
そこで仮にこれが事実だとすると、列強は日本が強い国家になることを望んでいたということになる。それは別の資料であった、「米国はアジアににらみをきかすため、英国はロシアににらみをきかすために日本を従属国とした。それが明治維新だ。」という説にもつながってくる。
この岩倉使節団も、以前から腑に落ちない点があった。幕末の混乱、そして新政府樹立からわずか3年で107名という大人数の政府関係者が2年にわたり欧米諸国をまわるのだ。岩倉具視をはじめ、大久保利通や木戸孝允、伊藤博文など、新政府の主要メンバーもふくまれる。
別の資料では岩倉使節団を、「革命後の激動時、 新政府の要人の8割が内政を放り出したまま2年間も外遊視察するという世界史上稀に見る珍事」とまで評している。はたしてそんなことを日本だけでできるだろうか。
ここからはボク個人的な想像だが、岩倉使節団は英国からの強制司令だったのでは、と考える。明治政府は英国と米国の従属国として、もはやこの時点で二国にはさからえない立場だったのだ。
そうであれば英国は、日本をロシアと対等に戦える強い国にするという説にもつながる。つまり「お金出してやるから、われわれ欧米諸国をまわって国家というものを勉強しろ!そしてロシアと対等に戦えるくらいの強い国をつくれ!」ということだ。
そしてさらに日露戦争にもつながってくる。日露戦争では世界中が、日本はロシアに勝てるわけがない、という論調だった。ところが英国は積極的に日本にお金を出したのだ。そして英国につづいてお金を出したのが米国だ。
英国からしたら日本は、日露戦争の約40年前(明治維新)から対ロシアのために投資してきた国になる。いざ戦争となったらそりゃ積極的に日本側にたつ。むしろ日露戦争は英国が仕向けた戦争かもしれない、という疑念すらわいてくる。(←これはくわしく調べてみたい)そしてさらに日清戦争もガッツリつながってくるのだ。
いや、もっといえば幕末の薩英戦争の違和感も腑に落ちてくる。(←これももう少し調べてから、後日また記したい)また以前記した、錦の御旗の違和感、江戸城無血開城の違和感もすべてつながる。つまり「日本は明治維新からアメリカの不沈空母だった」という仮説で考えると、幕末明治維新のさまざまな違和感がすべてつながるのだ。
そこでボクはもういちど、幕末明治維新の通説をおさらいしようと思う。大河ドラマ「西郷どん」「青天を衝け」。この2作を急ピッチで観ようと思う。今、通説とよばれるものを観ると、また違う発見や違う違和感などがあるかもしれないからだ。
最後に、「日本は明治維新からアメリカの不沈空母だった」という仮説の名を変更しようと思う。「日本は明治維新から、英国と米国の不沈空母だった」だ。
人によってさまざまな意見があるだろうし、もしかすると本文は皆さんからはトンデモ論のように見えるかもしれない。しかしそこは歴史ド素人の自己流研究ということで、大目にみてもらいたい。