考えごと日記その35 「237年ぶりが意味するものとは…」
文久3(1863)年、孝明天皇は京に上洛した将軍徳川家茂を従えて、攘夷の成功を祈願するために賀茂社へ向かった。
……のだが、おどろくことに天皇の行幸(外出)は、この時なんと237年ぶりなのだそうだ。つまり237年もの長い間、徳川幕府は天皇の外出すら許さずに御所に閉じ込め、ずっと朝廷を支配してきたのである。うへぇ〜〜〜ッ。
それを逆転させたのが岩倉具視だ。和宮の降嫁である。この時期、幕府の権威は地に落ち、人心も離れていた。そこで幕府はなんとか朝廷の威光をかりて権威を取り戻したいと考える。その弱みにつけ込んで、岩倉は幕府と取り引きにでるのだ。
その内容とは、和宮を徳川家に嫁がせる。そのかわりに、幕府に日米和親条約を引き戻して(破棄させて)、天皇の意向である攘夷を決行させるというものである。
幕府はもともと将来的に日本の武備が整ったら条約を破棄する「条約引き戻し案」が井伊直弼の方針としてあった。そのため、「一定の猶予」を条件に岩倉の要求をのむのである。
そこで岩倉は畳みかけるように、これらを将軍の自筆での誓書として回答するよう要求するのだ。将軍自筆の誓書は家康以来かつて無いことで、これは徳川が朝廷に屈することになる。
岩倉の強気で粘り強い交渉によって、ついに将軍家茂は自筆で誓書を書くのである。ここで朝廷と幕府の立場が逆転することとなったのだ。そして冒頭で述べたように、天皇が将軍を従えて237年ぶりに行幸(外出)するかたちとなったのである。
ドラマでは和宮の降嫁は「これからは幕府と朝廷が力を合わせて日本の舵取りを担っていく」と描かれるが(それも間違いではないのだが…)、本質は朝廷による幕府の攘夷約束を引き出す駆け引きなのである。
そしてこれら和宮降嫁の仕掛けから交渉まで、すべて岩倉がからんでいるのだ。これによって朝廷と幕府の立場が逆転するという前代未聞の事態を演出する、まさに幕末の重要なターニングポイントのひとつとなったのである。なにしろ237年ぶりだからね。
岩倉はこれだけではない。この男は幕末のあらゆる要所々々で必ずといっていいほどからんでいる。そう、いうなれば、幕末維新は岩倉のためにあって、岩倉の手によってなされたと言っても過言ではないのである。まさに黒幕中の黒幕だ。
この岩倉の偉業とくらべたら、しょせん大久保はその岩倉の言いなり、西郷はパークスの言いなり、龍馬は英国と薩長の武器仲介役、ましてや桂や高杉なんて烏合の衆よ。幕末明治維新のキーパーソンはほかでもない。岩倉具視なのである。
(注意)これはしょせんド素人の見解なので、どうか話半分で読んでください。