ブラタモリ日記その42 「福井 #124」 セレクション(2019.2.2)
今回のセレクションは福井。福井ってなにがあるんだろ、とあらためて考えても、失礼ながらなにも浮かばない。それもあって、そう期待もせずに番組をみたのだが、いやいやこれはおどろいた。
なんだ、この一乗谷はッ、人里離れた山奥、険しい山々に囲まれた谷。とても人が住みそうにないようなその谷間にポッと姿をあらわす戦国時代の都の跡。ここがあの朝倉義景の城下町だという。めっちゃ行きたいッッ。
朝倉義景といえばどちらかというと歴史の脇役だ。戦国時代の大名として栄華を誇こった朝倉家。しかし義景は新興勢力であった織田信長を一時は追い詰めるものの、逆に返り討ちに合い滅ぼされるのだ。
信長関連の小説やドラマでは必ず登場する義景。しかしそこに描かれる義景は、天下統一へむけてグイグイとのし上がる信長を際立たせる1アイテムに過ぎない。言うならば、義景は信長の引き立て役とでも言おうか。
それだけを聞くとなんともかわいそうな、と思うだろうが、義景は朝倉家のボンボン。政治や軍略にとぼしく、どちらかというと歌や茶道などの文化系を好んでいたという。弱肉強食の戦国時代、そりゃ信長には勝てんわ、仕方ないというもんだな。
とはいえ、三好・松永に追われた足利義昭が助けを求めて逃亡した先が、ここ義景の一乗谷城。越前は京に近いため、古くから朝倉家は将軍足利家から頼りにされていたという。また明智光秀が織田家に仕える以前は、この越前に住んでいたとも(←一乗谷や朝倉家との関係は諸説あって不明)。
そしてこの一乗谷の最大の魅力はこの景観だな。なんてったって山奥の谷間にポツンと広がる小さな都ってのがそそられる。ジブリかなんかでなかったっけ? 閉ざされた楽園。秘密基地ならぬ秘密都市だよ。
そんな朝倉家の栄華も、越前を平定してから100年で滅ぶことになる。信長によってその秘密都市は燃やされ、義景は自刃。ここに朝倉家は滅亡となるのだ。嗚呼……、夏草や兵どもが夢の跡か……。そしてそれから400年経った今、遺跡となって現代の世に現れるんだな。浪漫やなぁ〜。
「福井のルーツは “ 消えた都 ” にあり!?」
朝倉義景(1533〜1573)→ 越前(現在の福井)を治めた戦国大名
朝倉氏の城下町・一乗谷 → 織田信長に焼かれ消滅
足羽川支流の一乗谷川 → 削られてできたのが一乗谷
奥行き1.7kmの谷に1万人が暮らしていた
巨大な石組み → 町を守っていた大きな石造りの門
一家にひとつずつ井戸とトイレ → 計画的にインフラが整備 → 戦国時代としては豊かな暮らし
中国の医学書や薬研(やげん)→ 最先端の医療
越前焼、数珠玉、砥石など、重要文化財 2343点
1573年、町が焼き払われた後、すぐに一帯は土で埋められ水田になる → そのために400年ものあいだ真空パックらのように町が保存される
田んぼにしてたことで水が常にあった → 水があったりなかったりすると腐る
1967年、本格的な発掘調査を開始。土の下から遺物が続々と発見される
通常は武家屋敷(武士)と町家(商人)は分かれているが、朝倉氏の城下町は隣り合っている → 経済が発展して、武士の区にも町家が入ってくる
ヨーロッパ製のベネチアングラス → 九頭竜川を上って運ばれる
1573年一乗谷滅亡 → 福井の中心は平野へ
福井城 山里口御門(やまざとぐちごもん)の石の瓦 → 笏谷石(しゃくだにいし・緑色凝灰岩)
笏谷石 → 火山灰などが固まった凝灰岩の一種。鉱物の変成によう緑がかった色が特徴
やわらかく加工しやすいため、福井城のいたるところに使われている
笏谷石は一乗谷の井戸枠にも使われている → 笏谷石が使われたのは一乗谷の時代から
料亭 丹巌洞(たんがんどう)のお庭 → すべて笏谷石でできている → 昔は石切り場だった
足羽山(あすわやま)→ 笏谷石でできている山 → 一乗谷時代から採掘が本格化
美しく加工しやすいため、江戸時代になると日本全国へ
足羽川はかつて足羽山の石切り場のそばを流れていた → 足羽川を下って三国港へ → 北前船で全国へ売り広げられた
歴史あるストリート呉服町商店街 → 江戸時代、道をはさんで両側に40軒くらいのお店が並んでいた
「一乗町」と一乗谷の地名が残る → 戦火によって谷を追われた一乗谷の商人や職人が移り住んた町
国島商店 → 福井で最も古い町。かつては御用商人として藩の経済を支えた
朝倉家の家紋 → 一乗谷が滅亡したあと、朝倉家の娘が嫁いでくる → 国島家では代々、花嫁衣装に朝倉家の家紋をつかう(男は国島家の家紋)
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