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きれいごとではなくて、ちゃんと書いて終わります



4年前自分の心と向き合うために始めたnote。


2年間の空白があって
また再開した。
描いた絵をどこかに投稿したくて。

普段、表に出せない気持ちを
そっと出せる場所になった。

そのうち、私の気持ちに共感してくれる人や
私の描く絵を好きだと言ってくれる人が増えてきて
私はとてもうれしくなった。


初めはほとんどひとりごとのような私のnoteも
毎日見てくれる人がいたり
楽しみにしてくれる人が増えてきて
私はもっともっとうれしくなった。


しんどいこともあった。

他の人の記事やコメントを読んで
勝手に自分に取り込んで
自分のことのように考えて苦しくなったり

そのままの正直な気持ちを書いて
読んだ人を悲しませたり。


少しずつ、何を書いて良いのか悪いのか
暗黙のルールが分かったような気になっていた。

少しずつ、少しずつ
自分の言葉をオブラートに包むことを学んでいった。

本当はそんなものはどこにもなく
とても自由な場所なのに。


「どんなことを書いたら、読む人は喜んでくれるだろう」
「どんな絵が人の心を和ませるだろう」

それがいつのまにか基準になった。


いつのまにか、私の心ではなく
画面の向こう側にいる人たちを意識して
noteを書くようになっていた。


だから記事が書けないとか
言葉が浮かばないとか
絵が描けないとか
勝手に自分で苦しんで

私の感情はいつもここにあるのに
この感情は出したらダメだとか
判断するようになってた。


結局は「喜んでもらえる記事」が書けない
「誰かの心が癒せるような言葉や絵」が浮かばない

そういうことだった。


一生懸命何日もかけて作った記事には、あまりスキがつかなくて
少しの時間しかかけていない、ふと作った記事にたくさんスキがついたり

何だかよく分からなくなった。
スキを基準にしている自分もいやになった。


「あぁ、なんかもうこれ以上ここで書いてたら
自分をおざなりにしちゃうな。」
そう思ってしまった。


まっさらに戻ろう
おざなりにしてきた本当の自分の真ん中に戻ろう

そう思ってしまった。



私は昔からよく逃げるくせがある。

「何から逃げてるの?」
以前、親友だと思って仲良くしていたリアルな友人からも
言われた言葉。

私はその人からも結局逃げた。

「苦しいことから逃げている。」
「自分が傷つくことから逃げている。」

今ならその人にはっきりそう答えられる。

でも後悔している。
最後にちゃんと伝えたいことを伝えられなかったから。


ごめんなさい。
私はこの場所が苦しくなりました。
だから
ここから離れます。

まっさらから、また始めたいです。


最後はこの言葉を書きたい。


その友人にも
できるならこの言葉を伝えたかった。


「今までありがとう。」





この場所から離れても
自分からは離れないでいよう



そして確かに言えること。

noteに出逢って
私の毎日は
モノクロから色づきはじめた。




最後までご覧いただきまして
本当に有難うございました。


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