どうする?負動産の実家14 買物は?
車がなくなった父の日常生活、買物について
「車がなかったら、生きていかれへんやろ!
オレに死ねって言うんか!」
という父の声は、今も記憶から消えません。
田舎で近隣と仲良く暮らしていた父はよく、脳梗塞で自動車が運転できなくなったお向かいさんを乗せて、車で20分のスーパーまで出かけていました。
まだ自分で運転ができて、人を乗せてあげることもできる。それが父にとっては、大事なことでした。
2015年、運転免許を更新できず、車を取り上げられた父。(車自体は、実家の最寄駅の駐車場を借り、わたしが帰省のたびに使っていました。)当初は、「乗ろうとしたら車の鍵がない!鍵はどこや~?」とわたしに電話をかけてきていました。
父の免許が更新できなかった顛末については、11話と12話でお話しています。
その都度、
「お父さんが運転免許を更新しなかったから、免許がないこと、車はわたしが預かっていること」を伝えました。
父も自分の失態だと思うらしく「ほな、また免許取りにいくわ…」とつぶやいていました。
介護認定取得、ヘルパーさんがきてくれる
車をとりあげる前の段階で、父の介護認定を取得して、週3回ヘルパーさんの来訪がはじまっていました。
ヘルパーさんには、
買物をして、多めに料理を作り置きし、パンやうどん、冷凍食品など、父が簡単に作れそうなものをストックしてくれること、他にも簡単な掃除、洗濯をお願いしていました。
うちの地域では、
配食サービスを提供してくれる事業者はいませんでしたので、ヘルパーさんに頼む内容も、自然、都心部とは違っているようです。
父が、まったく家事ができないので、家事量は多かったと思います。この件はまた別に書こうと思いますが、父はいわゆる「片付けられない人」でした。
ヘルパーさんの派遣会社から、
「週3では、時間内にまったく作業が終わりません!」と連絡がきて、すみません、すみませんと謝りながら、週3→週4→週5と派遣回数が増えました。父ができないことが増えるのにつれ、最後は週6になりました。
限度額を超えた分は、自費で払うことになりました。それでも、父が温かいご飯を食べられて、様子もみてもらえるので安心でした。(ヘルパーさんが来る時間に、父が起きることはほとんどなかったけれど)
最初、介護認定面接の時に、
「うちに知らん人が入るのは、絶対いや!
オレは自分でなんでもできる!」
と言って脱走した父。
実際ヘルパーさんの派遣がはじまってみると、
呆気ないほど簡単に馴染んで
「ごはん、おいしいよ~」
と言っていたので、びっくりでした。
ヘルパーさんは父が寝ている時間にきて、さっさと家事を済ませて帰ってくれるので、他人が家に入る気まずさも少なかったのかもしれません。
料理は毎日のことなので、
味付けがなるべく本人の好みになるように、薄味でも、甘口の味付けをお願いしていました。ヘルパーの方は、父の食べ残しの様子を見ながら、好みのものを探してくれていたようです。いつも感謝以外の言葉がありませんでした。
わたしたち姉妹の月1回3,4日の滞在は、継続していました。仕事を持つ姉妹は、週2日ということもありましたし、仕事を減らしていた(いわゆる介護離職ですね)わたしは、少し長めに帰っていました。
実家じまいの続きは下記より。父のお金の管理について。