場面緘黙症ブログ「12歳の私が伝えたかったこと③」 〜見られるということ〜
4歳の時、幼稚園入園をきっかけに「場面緘黙症・緘動 ※」(ばめんかんもくしょう・かんどう)を発症した娘。
その後不登校やパニックなどを経験し、ようやく自分を振り返ることができた12歳の頃に綴ったブログを再構成しました。
(※場面緘黙症:家庭では話すことができるのに、社会不安のためにある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動」という症状が出る場合もある。)
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幼稚園で誰かに手を引かれないと動くことができなかった私…
小さい頃の、家族以外の人が撮ってくれた写真は自分の肩に顔をうずめて、かくれるようなポーズで、笑顔が、ほとんどありません。
でもお父さんやお母さんが撮ってくれる時にはいつも笑っていました。
学校へ行けなくなってからは、みんなが学校に行っている時間に外出するのが、とても嫌でした。
知らない人に、「今日、学校は?」と聞かれるのが怖かったからです。
だからいつも、「今、何時間目?」と確かめて、みんなが学校から帰る時間になってから出かけていました。
わたしはいつも、人の視線をこわがっていました。
家の中に隠しカメラがあるような気がして、不安なこともありました。
人の視線を感じるお店、(例えば吉○家)に入るのも無理です。
そんな私が、これまで4回もテレビに出ました。
一回目は、家族で遊園地に行ったとき。
テレビの取材が来ていて、妹たちと記念写真を撮っている姿が映されました。
二回目は、ミルクボランティアの活動を紹介するニュースの取材を私の家で受けました。
大きなテレビカメラやマイクにとても緊張したけど、子猫のためにがんばれました。
三回目も、別の番組でミルクボランティアの活動を紹介してもらいました。
四回目は、「学校に行かないという選択」という特集のために、自宅で取材を受けました。
その時は、テレビカメラの前でケーキ作りをしたり、ほんの少しだけどインタビューにも答えました。
人に見られるのが無理だった私がテレビに出るなんて、あの頃のわたしが見たら、
「そんな未来は絶対にあり得ない!これはきっと夢の世界」
だと思うだろうな…。
だから、あの頃のわたしに言ってあげたい…。
「みんなと同じが幸せとは限らない!
みんなと同じじゃなくてもいいんだよ!」
場面緘黙症・緘動になったときのことはこちら↓