[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第8話 「支援のための発達検査の課題」
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長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。
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娘は約2年ぶりに発達検査を受けました。
不安を感じ行きたくないと言いましたが、2年前には一人で検査室に入り受けることができた経験も背中を押してくれました。
しかし、14歳になった娘は、検査官の前で声を出すことはできませんでした。
事前に娘の症状については伝えていたので、鉛筆とメモ紙を準備してくれていましたが、娘は最初に解答用紙に自分の名前を記入した後から、動くことはできませんでした。
娘にとって、緘黙(話せなくなる)の症状は、学校へ行くことをやめてからも見られました。
本人にも自覚がありましたが、体を動かせなくなる強い「緘動」になることは学校へ行けなくった小学1年生の終わり以降、あまり思い当たりませんでした。
思うように動けない場面は緘黙と同じようにありましたが、小さくうなずいたり、首をかしげるくらいはできていました。
検査官は第1問目で動きを止めた娘の回答を待ちました。
前回も書きましたが、待つことは状況を悪くします。
しかし、回答によって判定される検査には何らかの答えを待つことは避けられません。
その時間はきっと、場面緘黙症・緘動を発症した人にとり、とてつもなく長く、苦しく辛い時間。
自分が今求められていること、取るべき言動、それを待っている相手がいること…
この時間が続けば続くほど、声も動きもますます封印されてしまうこと…
頭の中では分かりすぎるほどに分かっているのにどうすることもできないのです。
「やりたくない」とも「できない」とも伝える手段がないのです。
娘の頰にはポタポタと涙がこぼれました。
その流れる涙を自分の手で拭うこともできません。
検査官は2問目以降の設問は控えてくれました。
娘のバッグをそばに置き、「ハンカチある?」と聞いてくれましたが、緘動状態になった娘には、目の前にあるどんな助けも自分から使うことはできません。
私も同室させていただいていたので、検査官に促され、14歳の娘の涙を私が拭いました。
娘が小学一年生の時、私は二女を連れ、同伴登校していました。
動けない娘は一番前の席で、拭うことのできない涙をやはり静かに流していました。
その時、バッグからテイッシュを取り出し、娘の席まで行って涙を拭いてくれたのは、当時4歳になったばかりの二女でした。
今回の検査は娘への負担を考慮して中止となりました。
どうしても受けなければならない検査ではありません。
しかし、数値による判定が様々な支援の条件や指標となることの多い現状では、娘のように数値を出せない状態はとても難しいのです。
(5歳の三女も、就学相談のために発達検査を受けたのですが、声を出せず本人が工夫し、持参したメモと鉛筆でたくさんの絵や文字を書いて答えを伝えました。
1時間以上もそうやってがんばって伝えましたが、結果として出されたのは「判定不能」の4文字でした。)
検査を終え車に乗り、ようやく声を取り戻した娘はとても落ち込んでいました。
答えられなかったことではなく、「緘動」にはもうならないのかと思っていたからです。
「まだ、なるんだ。」
ということが、受け入れるには辛い現実でした。
話すことも、娘は小学校高学年辺りからほとんど克服したように見える時期がありました。
「一度出来るようになったと思えたことが、また出来なくなるって辛い。」
そう話してくれました。
この先の未来のことはまだ分かりませんが、娘がより自由に話したり動いたりできる仲間や場所を見つけ、その力を伸ばし、理解して応援してくれる人と出会い続けてほしい。
そう願う帰路でした。
そして娘はこうも言いました。
例えば、場面緘黙症や緘動の人、またその他の障害についても、その程度に分けるとか、そういう人が受けられる検査方法があるべき。
実際、検査官は回答ができない状況をどうしたものか、いいアイデアを思いつくことはできませんでした。
何か出来ることはないのか。
何か方法は見つからないか。
一生懸命考えてくださいましたが、現状ではその方法は見つからない様子でした。
自治体により違いもあるでしょうが、当事者にとっての負担や不安を少しでも少なくすることができないのか、このような相談の場では常々感じることです。
できないことを、突きつけられるような検査や相談のスタイル。
苦手や起きやすい困難場面を本人の前で伝えなければならないこともあります。
たとえ、その後に得られるかもしれない支援のためであっても、当事者にとって、自信を喪失させたりトラウマになるようなことがあってはならないと思うのです。
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例は、娘のケースです。
すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じています。
(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。