場面緘黙症ブログ「12歳の私が伝えたかったこと①」動けなくなったあの日。〜場面緘黙症~
4歳の時、幼稚園入園をきっかけに「場面緘黙症・緘動 ※」を発症した娘。
その後不登校やパニックなどを経験し、ようやく自分を振り返ることができた12歳の頃に綴ったブログを再構成しました。
(※場面緘黙症:家庭では話すことができるのに、社会不安のためにある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。)
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私は小さい頃からとても敏感な子でした。
お母さんは、赤ちゃんの頃からずっと大変だったと言っています。
他の子供がいる公園に行くことを「こわい」と言ったり、お友達が家に来てもずっとお母さんのひざの上にいました。
幼稚園に入って、私は毎日泣いていました。
そしてある時、幼稚園のトイレでお友達に、「◯◯ちゃんは教室に戻っちゃダメ!」と言われて、一人取り残されてしまった時から、突然体が動かなくなりました。
さっきまで普通に動いていたのに、急に動かなくなったので、先生は私がわざと動いていないと思って注意したり、教室の外に置いたままにしたりしました。
私に何が起きたのか、先生にも、自分にも、誰にも分からなかったのです。
自分では動けないのでお弁当の時間には、食べ物を口に運んでもらっていましたが、ほんの少ししか食べられませんでした。
自分では体を動かせないので、暑い日にも自分ではお茶を飲むこともできません。
それから、卒園するまでの2年間、私は先生や友達に手を引いてもらわないと一歩も歩けませんでした。
園庭の真ん中でお友達が手を放したら、誰かが迎えに来てくれるまで、そこにいることしかできませんでした。
でも、幼稚園を出れば、自由に動いたり、しゃべったりできるので、お母さんにもなかなか分かってもらえませんでした。
しばらくして、私は場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)と診断されたそうです。
幼稚園では辛いことも、楽しいこともたくさんありましたが、それはまた、少しずつ書いていこうと思います。
その頃の私は、絵を描いたり、工作したりするのが大好きでした。
幼稚園では動けなかったので、お絵描きや工作は先生がかわりにやってくれました。
そのぶん、私は家でたくさんの絵を描いたり、いろいろなものを作りました。
また次も、読んでもらえたらうれしいです♡
***hohimaro(母)の記事も併せてお読みください***
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