ブドウ畑でつかまえて
世界のブドウ畑の8割が醸造用(つまりワイン)のために作られるらしい。果物として食べるのは1割程度。残りは加工用。
日本では逆に食べるためのブドウ畑が多いのですが、山梨にはやはりワイン用のブドウ畑(ヴィンヤード)があります。
そこに旅行にいってきました。こういうのをアグリツーリズムというらしいです。日本語で言うなら農泊?(いや、滞在型農園)
ニューノーマル完全対応
今回訪れたのは、八ヶ岳と甲斐駒ヶ岳に囲まれ富士山も一望できる小淵沢の小牧ヴィンヤード。1日に1組限定なので、完全にプライベートが保たれます。
Go Toなんたらが東京発着を対象にする前だったので、逆に運よく予約が取れたのかもしれません。
それでもお宿は徹底的な感染対策をされていて、到着時の検温もしっかり、そこら中に消毒用アルコールやウェットティッシュがあり、安心感があります。トイレも清潔。
部屋も隅々まで清潔で、WiFi完備でワーケーションできるとのことですが、仕事なんてしませんよね。
グランピングテントも1組のみ。隣のパーティーの音が聞こえてくることはありません。
何もない楽しさ
ヴィンヤードにアグリツーリズム。ま、言ってしまえば畑しかないのです。しかもブドウのみ。その場で収穫して食べるわけでもなく、ブドウを眺めそれがいつか収穫されて、ワイナリーに運ばれワインになってくるのを妄想する。という、なんとも奥ゆかしい体験です。
とはいえ、よく見ると実にいろんなものが見つかります。
ブドウには農薬を使わず、昔ながらのボルドー液(殺菌剤として使われる硫酸銅と消石灰の混合溶液)だけなので、虫もいるし雑草も生えます。
白っぽいのがボルドー液のかかった痕。足元をみればいろんなキノコも見つけられます。
9月中旬だったので日差しはまだ暑く、でも湿度が下がってカラッとした過ごしやすい気候でした。
ワイルドな自然ではなく(本当の自然の中は一歩その中に入ると、結構いろんな作業があって忙しい)人の手が入って整えられているけど、それは作物ファーストなので緑地とか公園とは違います。
ありのままの自然ではないけど生命力にあふれる空間としての、農園。豊かさとは何か考え直したくなります。
パーフェクトなタイミングのサービス
ホストファミリーは実は本場のサービスのプロフェッショナル(後からわかったのですが)で、サービスのタイミングがまさにパーフェクトです。
見るともなしに見てくれているのでゆったりとした時間がながれ、退屈の瀬戸際というタイミングで午後のワインが運ばれてきたりします。
急かされない、時間が心地よく流れる幸せ。
写真撮り忘れ
星景撮影にもチャレンジしてみたし、夜のグランピングテントも押さえたのに、なんと料理の写真を撮り忘れてしまいました。
一応記憶をたどって書いておくと、ディナーは地元の食材を活かしたコース料理。当然ワインとの相性は抜群。舌が肥えているわけでもないので、あれこれうんちくを傾けられないのが悔しいかぎりですが、とにかく幸せな食事の時間を過ごしたことは事実です。
さっき畑のわきで見かけたカボチャとか、このブルーベリーは「そこでなってたやつかな」とか、散歩の記憶と結びつけながら地産地消の食材(リアルに獲れたて?)を味わい、生命力を体に取り入れた気分でした。
全体を通して感じる仕事量と質
旅を通じて何かの学びを得たり、血肉になる経験となることは実は少ないと思います。
子供たちを農園の庭に解き放ち(駆け回って遊んでいる)、喜寿を迎えた両親に安らぎのソファを譲り、妻とふたりでブドウの木の間をゆっくりと歩きながらくだらない話をする。
それだけで、一人で旅先で何かと向き合った時のような深い印象が残りました。まるで感受性の豊かな若い日の旅のよう。
1日に1組だけの受け入れで、かつホストファミリーだけで運営しているからこそできることだと思いますが、その仕事量と質は長い修行の積み重ねでできるタイプのものだと思います。
畑の中も、宿も、サービスの設計も実に細かいノウハウの積み重ねを感じるものでした。しかし余計な飾り気はない。
「何でもそうだが、あんまりうまくなると、よっぽど気をつけないと、すぐこれ見よがしになってしまうものだ。そうなったら、うまくも何ともなくなる。」
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
逆に自分の素人感がむき出しになったのが、半そで半ズボンだったこと。
家族と山登りとか森の撮影に行くときは口酸っぱく「素肌を出してはだめだ」と言っているのに、油断しました。
家族の中で私だけ5か所もブユに咬まれ、3週間ほど旅の記憶とともに痒みを我慢するハメになったのです。