「目的に値段をつける」という解決策。費用対効果より強力な「選択のフレームワーク」
「価格選好」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。価格で選り好みをするという意味ですが、要するに「安いほうを選ぶ」という文脈で使われることが多いようです。
「少しでも安く買いたい」という気持ちは、誰もが(一部のセレブを除けば)持っていておかしくありません。そして、一方で「安物買いの銭失い」とか「安かろう悪かろう」という考え方もあり、そこで出てくるのが「費用対効果」という考え方です。
この考え方の浸透度は異常で、ビジネスシーンでも使われるし横文字好きの間では「コストパフォーマンス」という言葉に置き換えられて多用されます。「コスパいい?」「コスパ的にどう?」みたいな。
ただ、それだけが尺度では、今の時代としてはいささか「短絡すぎる」気がするのです。
単一尺度の弊害
「費用」と「その効果」という組み合わせは、説得力のあるものとして浸透してきました。
それは「ROI」とか「PER」などの指標に形を変えたとしても、近視眼的かつ思考停止を呼びやすい性質をもっています。
費用対効果だけに注目するのは、極端に例えると「打率」だけ見ていて、打点や出塁率や守備率などを見ないようなものです。
しかしどんなケースでも「費用対効果は悪いけどこっちのほうがいいね」とはなりにくいのが現実ではないでしょうか。
なぜなら「費用対効果」を検討するだけでもそれなりに思考能力を消尽するので、十分に検討したような気がしてしまうからです。
「安いことは良いことだ」が成立したのは経済成長が続いていることが前提で、人口の増加局面においては有効な話でした。多くの人が「安さ」を買っていて「安さ」に満足していた時代。
その「安さが爆発」するビジネスモデルが跋扈していた数十年の間に、それは「売り場の棚という利権の取り合い」という構図を生み出し、徐々にメーカーの体力を奪い、技術が落ち、産業の空洞化(コストダウンのために人件費の安い海外に工場を移転)を招いたのでしょう。
今から振り返ると、人件費の差分から利益を生み出そうとしていたのはエシカルではないですよね。
これが価格選好の弊害。あるいは「単一尺度で思考停止にすることで経済の成長ができた時代」の政策の根深い副作用とも言えます。
やがて経済成長は鈍化し人口は増えなくなりました。そして、寿命がのびたので人口増傾向は続いたが消費は増えない。
ではどうすればよいのか?
そのつぎの時代を担う選択のフレームワークとして、
「目的に値段をつける」
って、どうでしょう?
つまり、費用を伴う選択に迷ったときは「その目的のためにいくらなら払えるのか」を考えるわけです。
費用対効果を算出するより、場合によっては簡単で合理的に決められる可能性があります。
後から「こっちのほうが安かったじゃん」という指摘されたとしても「別にいいんです、目的に対して考えた予算で買えたから」と考えることができれば、損した気分にならないで済みます。
しかも「目的の価値」を考えるときに、否が応でも「目的」について真剣に考えざるを得なくなります。
家計においても事業計画においても、お小遣いにおいても「目的」を考える習慣が身につく効果は絶大です。
「欲しい」と「必要」は違う
「目的」についての検討や思考が不足していると「欲しい」という欲求を満たすためにどうにか理由(口実)をつけようとしてしまいます。(誰でもそうです)
しかし真剣に考えると「欲しい」だけなのか「必要」なのか、区別がつくようになってくるはずです。そしてその目的のために必要なことやモノに「いくらならな払えるか?」と考えると、結論を導きやすくなってきます。
もちろん「欲しい」に対して予算を付けたって構わないのです。
目的に値段をつけるときには、対象がモノであれサービスであれ「時間軸」を考慮に入れることが一つのポイントです。
そのモノを使っていった結果どうなるのか?
そのサービスを利用し続けたら何がおきるのか?
例えば、クラウドストレージのサービスを利用することを検討するとして、HDDやNASを運用し続ける(物理保管・電源・保守・可読性の維持 etc.)コストに比べれば、結果的にクラウドのほうが「コスパ良い」となったとして、果たしてそれは「目的」に対して許容範囲のお値段なんだろうか?
保存できる容量が可変(or 無制限)で、データをたくさん追加できるとして、時間の変化とともに当初の目的のために想定した予算を超えてくる可能性があるわけです。
「古くなったマシンやファイルサーバーのデータを、一時的に保管する」ことが目的の時と、「アーカイブしたデータを将来にわたっていつでもアクセス可能な状態を維持する」ことが目的の時では、付けられる値段が違ってくるはずです。
逆回転
ニーチェの名言をもじったフレーズがバズっていたのを思い出します。
「安さ」を買うためには誰かが「安く」はたらくしかなく、「タダ」で手に入れているサービスやモノの向こう側で「タダ働き」が存在していて、それはまさに「安さ」や「タダ」を求める動機の根源である所得の低さとループしているということです。
このループ構造をこの方向に流していては、結局誰も得をせず縮小均衡に向かうしかなくなるわけです。今の日本の経済はまさにそんな岐路に立っているように見えます。
「目的に値段をつける」という技を身に付ければ、このループ構造とは逆方向に回転させられる可能性があるのです。
「安いけど目的にかなうものがない」「お金はあるのに目的を果たすことができない」「お金もなくて目的もよく考える暇もない」・・・
費用対効果を突き詰めたところで、
という結果が待っているだけではないでしょうか。わずか10年先、20年先の人口構成や世界の経済勢力構造(中米二強、EUと日本の地盤沈下、経済成長を支えるのは後進国の人口爆発)などを考えると。。。
と、いろいろ思うところがある4月のスタートでした。
(21.04.21追記修正)