仮面ライダー・デビルマンから進撃の巨人・怪獣8号まで:「和魂洋才」の系譜

要約

「敵」「憎むべき相手」由来の力を得ながら、その力をもって敵と戦うも、敵の技術を使っていることから「味方」からも100%支持されないという、日本の英雄のストーリーの話。


本論

タイトルに書いたその通りの話です。

ある世界において「敵」がいて、主人公はその敵由来の力を得るけれども「味方」の心を失っていないので、敵の力を使って敵を倒そうとする英雄が、その力の由来ゆえに必ずしも見方からも100%支持されずに苦しむ、というのは日本のマンガなどの1つの定番になっています。

欧米においても悪魔と契約して特別な力を得た人の話はありますが、その人が「悪魔」と戦うという話は聞いたことがありません(知っている人がいたら教えてください)

私のアイディアは、これは「和魂洋才」に由来するのではないか、というものです。

今では、日本人の生活や社会もすっかり西欧風、というか近・現代風になったので、あまりこういったことで思い悩むエリートというのはいません。

強い言うなら、日本が好きな日本人スポーツ選手が、自分の実力をためすとか日本人の力を世界に認めさせるために、海外で頑張るという話ぐらいでしょうか。研究者の世界でも似たような話はあります。

日本人は「日本の代表」として世界で戦う人が好きですが、そういった人たちが日本という、普通の日本人にとって居心地が良い世界から離れなければならなかった苦労にはあまり目をやりません。

もちろん、海外生活が板についてそっちの方が良くなってしまう人もいますが、少なくとも日本で育った後で欧米社会に馴染むのは簡単なことではありません。

戦前の日本は王政復古とか尊王攘夷とか時代錯誤も甚だしいスローガンで江戸幕府を倒した後、あっさりとそのスローガンを引っ込めて、お雇い外国人などから西欧の知識を学ぶことを選択します。象徴的なのは鹿鳴館のパーティーのジョルジュ・ビゴーの風刺画でしょう。

この問題は夏目漱石そのほか、戦前の知識人の多くが苦しんだものです。当時の日本人エリートは職場では洋服を着るが、家では和服に着替えて和食を食べていると西欧人に紹介されています。

この流れから「近代の超克」といった話も出てくるのですが、ここではその話はしません。

色々な意味で西欧化が進んだ今日では、この問題は単なる言葉とか、同じ競技・分野でも日本内外でマナーなどが違うといった程度の問題になりました。ただ、ストーリー構成としては優れているので、今でも使われる手法となっています。

ある意味、「歪められた」錬金術を使って現在の力・地位を得ながら、最後はそれを克服し、ラスボスを倒したにも関わらず、更にそこで得た力をあっさりと捨てて見せた「鋼の錬金術師」は新機軸なのかもしれませんし、私がハガレンを高く評価する理由の1つでもあります。

また、その力を最大限行使して見せて、仲間に殺される未来を選択した「進撃の巨人」も新しいパターンなのかもしれません。

まあ、ここでは表題のストーリーと和魂洋才の関連性を指揮することだけに留めたいと思います。



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