東日本大震災が開示した『不都合な真実』
東日本大震災。
2011年3月11日に日本を襲ったこの自然の猛威は、高度な科学技術・文明を誇る現代人に、人間の無力さを見せつけてあまりある出来事であった。
だけど同時にこの震災は、わたしたちが新しいタイプの危険ー自らの行為・選択の帰結としてもたらされる危険ーにさらされる「リスク社会」を生きていることをあらためて突きつけるものであった。
大量の放射線物質の流出をともなう福島第一原子力発電所事故は、安定したエネルギー供給源として最近ふたたび脚光を浴びはじめた原発への希望を打ち砕き、世界に激震を走らせたのである。
現代のリスクのひとつの特徴は、その発生確率は低くとも、ひとたび生じると途方もなく巨大な危険をともなう、という点にある。
この「不都合な真実」にまさに直面しているにもかかわらず、わたしたちはこの人災を「想定外」の危険、すなわち自然災害として片づけようとしている。
自然災害など、不意に人間を外部から襲う「危険」は昔からある。
現代人は、危険をもたらす自然をねじ伏せ、自らの運命を自らが支配するべく自然を制御する知識・技術の開発に邁進してきた
わたしたちは技術進歩や社会発展を通して、人間優位の社会ー安心できる社会ーが実現すると信じてきたのだが、「リスク」社会の到来により、こうした信念は大きく揺らぐことになる。
リスクとは、人間の行為・選択に付随してもたらされる危険であり、人間は自らが選択した行為の危険にさらされるようになったのである。
たしかに、近代初期には、リスクはだいたい自己責任のルールで処理できたし、さらなる技術や国・保険制度の高度化を通して克服可能になる、と想定されてきた。
ところが、後期の現代には不確定ななかでの決定を余儀なくされる状況が爆発的に増える一方、リスクの規模・影響する範囲がいちじるしく拡大することで、これまでのリスク処理の方法自体がリスクあるものとなった。
また、リスク社会の到来によって、リスクの分配問題という新しい課題も登場してきている。
なぜ、現代はリスク社会となるのか。
科学技術がある程度のK点を超えて高度化したことがそのひとつの要因であるのは事実かと思われる。
原発事故のように、ひとたび発生するとその受益者や国境を超えて破滅的な影響をもたらす巨大なリスクはもちろん、遺伝子操作や環境破壊がそうであるように、
いつ・だれに・どのような影響がおよぶのか、ほとんど予測不可能なリスクも生み出されている。
しかもやっかいなことに、わたしたち現代人はこうした科学技術が生み出したリスクの危険性がいかほどのものなのかを、科学な依存して知るほかはないのである。
とはいえ、リスク社会の要因を科学技術の高度化にばかり求めるべきではない。
現代社会は途方もない複雑さを抱え込んだ社会であり、
しかも複数の個人個人に準ずるような機能システムに枝分かれして発展をとげ、人間の力はもちろん、政治などをふくめて特定の機能システムの力でその全体をコントロールすることすら不可能になっている。
とりわけ経済システムー資本主義ーのグローバルな展開は、共同体としてのルールや国の管理能力を超えて暴走する一方、地球の包容力を超える廃棄物を生み出すなど、エコロジー的なリスクを生み出すまでになっている。
現代人は自由を求め、知識・技術・インフラ整備を発展させてきた。
だけども、自由の増大はより多くの可能性の断念を意味するし、職業であれ対人関係であれ、わたしの自由ー選ぶ自由ーは他者の自由と裏表の関係にある。
いまでは、自由=リスクの過剰さ自体が、自己のアイデンティティを求める人間にとっての精神的リスクとなっている。
現代に生きるわたしたちは、不透明ななかで決定し、
リスクに耐えて生きることを余儀なくされている。
この条件から目をそむけることはできない。
リスクを防ぐための技術の開発が、新たなるリスクの発生につながる可能性は否定できないし、
「現状維持・自己防衛」的な行動は、
この流動化する社会において「変化に適応できない」リスクをともなう。
とはいえ、リスク社会の到来を悲観的にのみとらえる必要はない。
リスクとは「勇気をもってなす」という意味であり、
活力ある生命活動・社会での実践に不可欠なものである。
人間は、リスクにチャレンジすることで創造的に未来を切り開き、
また失敗から学んで再度チャレンジすることもできる。
リスクを創造的に活かすには、守り一辺倒の発想から抜け出して、
積極的にリスクに挑む起業家精神を支え、育てる教育・文化を生み出していく必要もあるだろう。
最悪なのは誰もがこの「不都合な真実」から目をそらし、
あたかもリスクなど存在しないかのように振る舞うこと、
あるいはリスクを回避して、失敗や悪影響の責任を他人に転嫁する行動がまん延することである。
ひとりひとりの責任ある参加こそ、リスク社会に求められる基本要件であってほしい。