旅人にとって旅はリアル小説という説
中学生の頃、アーサーランサムの「ツバメ号とアマゾン号」が好きで、寝る間を惜しんで読んだ。自分の部屋にこもっていても電気がついているので見つかって叱られた。そこで、豆電球で本を読んだり懐中電灯をお布団に持ち込んで読んだりしていました。(そして目が悪くなった)
読んでいたのは冒険物の小説で、15少年漂流記や、宝島、ロビンソンクルーソーも食い入る様に読んだ。「ぼくらの七日間戦争」シリーズは、登場人物が同い年で、手や足に汗を握って読んだ。
そんな体験が減っている。
小説を読むための時間をが減っています。
気がついたら昨日のnote「積ん読を楽しむ」にある様な一般書、実用書を読むのに時間を使っている。
どきどきワクワクの為に本を読むの好きだったのに。今は、新しいことを知る為に時間を使っている。まだ見ぬ何かを知るために。
なんとなくすぎて言葉にできないのですが、知識を記してある一般書から始まるルートからではなく、情緒というか気持ちが分かるみたいな所をからしかたどり付けない場所がある気がしています。
先日友人が、旅にでるのは自分と向き合う為だと教えてくれた。
移動の時間があるからなのかと思っていたけれどそれは間違いだった。
旅人にとっての旅は自身が登場人物の小説なのかも知れません。
そういう旅を生きよう。
ちょうど手元の(画像の左奥)サンデグジュペリの「人間の土地」
は、まさにそんな本。
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