桃真

日記感覚で思ったこと、感じたこと、思ったこと、誰にも話せないことを書き連ねます。 ギリギリ20代のアラサー限界社会人、猫とビールが好き。 最近カメラを始めました。

桃真

日記感覚で思ったこと、感じたこと、思ったこと、誰にも話せないことを書き連ねます。 ギリギリ20代のアラサー限界社会人、猫とビールが好き。 最近カメラを始めました。

最近の記事

天邪鬼のカメラ奮闘記(3)

昨日はコスモスとユーカリを購入したので、本日はかすみ草とガーベラを購入。 手元の花瓶が小さくてちょっと不格好になってしまった。  本屋さんで写真集と写真の知識の本を購入して読み進めてます。F値とかISO感度、学生時代別のことで習ったのに忘れてしまってるな。

    • 天邪鬼のカメラ奮闘記(2)(改題)

      カメラを買った。 そう書き連ねたのは6月頃。 その後全く使えていなかった。 その間に、思い出はあっという間に消えるということ、重ねていた年月関係なく、突然なくなるものもあるということを学んだ。 新しい出会いもあり、今度こそカメラで思い出を撮りたいと思った。 手元にあったkodakEKTAREの他、18年前の古いデジカメ、フィルムカメラ、コンデジなどを入手し、本格的にカメラで写真を撮り始めています。 ど初心者なので見よう見まね、試行錯誤ですが、思い出を少しでも形として残せる

      • きっと、おそらく、夏バテ

        メンタルは元気。 近年稀に見るほど元気。 嫌なことはもちろんあるし、愚痴もある。社会の歯車なもんだから、角を立てられないので、心の中でなんとか咀嚼して、飲み込んで、なんとかしている。 フィジカルはダメ。 腰痛がひどい、足腰が痛い、頭痛も蕁麻疹も止まらない。おまけに流行病にかかってしまい、夏季休暇が半分潰れてしまった。 ついでにうまく眠れない。 寝ても悪夢ばかりで疲れがとれない。 (交通事故を起こす夢、喧嘩する夢、知り合いが逮捕される夢などなどひどいもんです) そんな中での

        • 忘れもの

          大丈夫じゃなくても、『大丈夫です』と言う癖がついたのはいつからだろう。 昔々、何を言われても『すみませんでした』としか返してはいけない時期があった。 掃除が下手ですみません、当番を忘れてすみません、機嫌を損ねてすみません、人並みにできなくてすみません。 今考えるとどうでもいいことでいつも謝っていた。 そこら辺から、『大丈夫です』『なんとかします』と返すようになった。 そう言っておけば、その場が丸く治ると学んだから。 今になって、そんなその場凌ぎなことを言う癖を身につ

          選ばない幸せ、選ばれないからこその無責任

          たぶん10年ぶりくらいに元気な日々を過ごしている。 メンタルにもフィジカルにも大きな問題はない。 ストレス指数は高いけど、気に病むほどではない。 そんな日々の中、選ばない幸せもあるとこの前知り合いから言われた。 友人たちはライフステージを上がっているのにわたしは変わらずそのままの場所にいる。何もないと話したときに言われたことだ。 選ばない幸せもあるのだからいいじゃないかと。 確かにそうかもしれない。 束縛もない、制限もない、自由で、楽。 寂しさを感じる時もある気がす

          選ばない幸せ、選ばれないからこその無責任

          亡霊

          めずらしく頭が痛くなった。  特殊な偏頭痛は持っているけれど、今日のは普通の偏頭痛(普通とは?)なので、半分は優しさでできたあの薬を飲んで布団にぶっ倒れた。 体調を崩しているわけでもないし、心当たりがないので、恐らく疲労が原因であろうと思う。 YouTubeで曲を流して気を紛らわしているけれど、流れてくる曲が学生時代によく聴いた曲や、色々あった時に聴いた曲たちなので色々な感情で押し潰されそうだ。 梅雨入りが近いのか湿度も高く、ジメジメと気持ちが悪い。 亡霊のように思い

          天邪鬼、カメラを買う-(1)-

          カメラ。 幼き頃は写ルンですの最盛期。 事あるごとに写ルンですが登場していた記憶がある。 遠足や修学旅行も写ルンですを持って行き、なんか可愛い見た目のやつとか持って行ったな〜 中学時代、初めて持ったガラケーで色々なものをとった。ただ画質も悪く、当時自分のパソコンなんて持っていなかったので、データは機種変更を繰り返すうちにどこかへ消えてしまった。 さて、花の高校生(と呼ばれる歳)時代。 ガラケーからスマホへの転換期、スマホで撮った写真は綺麗で、写メや画像加工もできて楽しかっ

          天邪鬼、カメラを買う-(1)-

          私の幸せは私が決める事

          今まで生きてきて、何度も何度も『そんな毎日楽しいの?』『若いのだからもっと楽しみなよ』と言われてきた。 あまり遊びに行かないとか、趣味がないとか、友達が少ないとか色々なことをネタにされ続けてきた。 言われるたびに、私が悪いのかと思い悩んできたけれど、ある時突然『今の私は幸せなのだから、他人に何かを言われる筋合いなくない?』と気がついてしまった。 そもそも幸せの尺度なんて人それぞれなのに、なんで他人は私のことを不幸だというのか。 自分のお金で部屋を借りて、自分の好きな服ともの

          私の幸せは私が決める事

          春と花粉と眠れぬ夜とどうでもいい話

          気がつけば年度が終わって、新たな年度になる。 昨年はもうしんどくて(いつでもしんどいと言っているけれど)、転職しようか悩み面倒になり辞め、仕方ないと諦めて、働いた。 新人、若手とは言いにくくなる歳になり、甘えも許されないような気がして正直言って嫌である。 うるせぇ数年で一人前になれるわけねーだろ!という気持ちである。 新社会人の方々は安心して欲しい。 数年経っても辞めたいって騒ぐし、何年経ってもやらかすし、ミラクルを起こしたりするから、仕事ができないとか絶対悩まなくていい。

          春と花粉と眠れぬ夜とどうでもいい話

          『私』

          3ヶ月か2ヶ月くらい前のこと。 忘れたくても忘れられないことを引きずりながら過ごしていた。 とどめておいても仕方ないと、忘れようとして、思い出の品を全て捨てた。 すっきりしたけど、記憶だけは捨てられなかった。 ずるずると、記憶を残したまま無為に過ごした。 徐々に、その記憶は、私にとっては大切な思い出になっていたのだと思った。 思い出の品は捨てたのに、鮮明に、あの時のことを思い出す。 教えてもらった曲を聴くたびに、消化も昇華もできない気持ちをどうすればいいのかわからなか

          もう間違いたくない

          距離感とか話し方とか、間違いたくない。 今の関わりがなくなるのが嫌だから維持できるように間違いたくない。 こう思うのはエゴなんだろうか。 思い出したくない気持ちを思い出した結果がこれとは、ざまぁみろ自分。

          もう間違いたくない

          頭痛腰痛肩こり役満生活

          束の間の三連休も仕事の繁忙期が大詰めを迎えているからか、悪夢続きだったり不眠に悩まされたりと休めたのか?という感じだった。 春になると体の不調が顕著に現れ始める。 毎年どこかしらを壊し、大切な休みが消えていく。 昨年から頭痛が猛威を振るっており、ときたま何もできなくなる。まぁ痛いのである。そして市販薬が効かないので、処方された薬をちびちび飲むのだが、数に限りがあるので、ギリギリまで我慢して、耐えられなくなる手前で飲むということを繰り返している。 今日はどうやら肩こりがひど

          頭痛腰痛肩こり役満生活

          悪夢

          いい感じに飲んで、いい感じに寝た。 夢を見たら悪夢だった。 嘘だろ!?と飛び起きたら夢だった。 安心して二度寝したら夢の続きを見た。 悪夢へ 三連休に出てくんじゃない。 寝させろ。 私より

          理不尽なんて丸めて味噌汁に入れてやるか

          理不尽極まりない日々を咀嚼できないまま飲み込んでいる毎日を過ごしている。 いい大人だからしゃーないね、と思ってはいるけれども、心の中に溢れるのは罵倒と暴言である。 わたしの地元は漁師町で、方言なのか、みんなの個性なのか、よくわからないけど、そもそもの口調が荒い。 側から見たら怖いらしいが、大人になるまで育ったらなんも怖くない。というか義務教育の頃には怖くなくなってた。慣れって怖いですわね。 そんなデフォルト口調が荒い私は、学生時代を共にした本やアニメ、サブカルチャーたちのおか

          理不尽なんて丸めて味噌汁に入れてやるか

          しばらく取れない疲労感

          つまりは気疲れなのだと思う。 見知った人と1日喋るとか、店員さんにおすすめプラン聞いたりとか、休日にやるとすごぶる調子が狂う。 平日は仕事でずっと気を張って、やっと気が緩める土日にも気を張っていたらいつまで気を張ればいいのかわからない。 ビタミン剤を飲んでも入浴剤を入れた湯船に浸かっても何をしても疲れが取れない。 どうすればいいのかわからない。 何も考えたくない。

          しばらく取れない疲労感

          後に悔いるから後悔と言う、そんなことはわかってる

          あの時あー言えばよかった、 怒っておけばよかった、 文句を言っておけばよかった、 後に悔いるから後悔だと人はよく考えたものだ。 後悔したとて、なんにもならんのだ。 過去に戻れる技術はないのだからどうにもならない。 そう理解するしかない。 納得は感情がついてくる、理解は感情がなくてもできる、そう聞いたことある。 確かになぁと思ってから私は感情が追いつくものだけ納得したことにしている。 私が後悔している一連のことについて、どれもこれも事情があったにせよ、何一つ自分が取った行

          後に悔いるから後悔と言う、そんなことはわかってる