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私は「想い出」をつくるために生きているのだ

親戚の告別式があった。

私も数度しかお会いしたことがない方だったけれど、とても優しくがあり、ダンディで男前な方だったことを、今でも覚えている。

式は温かい雰囲気のなかで行われた。喪主の方の弔事が、短いながらも、やさしく、あたたかい。私の頬を、おもわず涙がこぼれた。

告別式って、もちろんさみしくて、切なくて、ツラい。
けれどもそこには、生きるうえですべての大切なものが、詰まっている気がする。

立場も役割もその他もろもろの出来事や感情をも超えて。
ただただ、去りゆく人のことを悼み、その方との想い出をなつかしむ場。
ものすごく純粋で、尊い。
人間の美しさが、そこにある。とさえ、私は思う。

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式に参列しているとき、ふと思った。

人生って、本当にいつどうなるか分からない。
明日もしかしたら終わってしまう可能性だって、ゼロじゃない。

もしそうだとしたら、わたしは
自分の最期を、どんな葬式にしたいんだろう?って。

生きていると、さまざまなものが欲しくなる。
お金もほしい。実績もほしい。名声もほしい。フォロワー数もほしい。あれもほしい、これもほしい。それもほしい。

けどもあの世には、お金も実績も名声もフォロワー数も、何も持っていくことはできない。

自分が天へと旅立つときそのときに、この世に遺したいもの。
それこそが、生きていくなかで、自分が大切にしたいことなのかもしれない。

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そう考えたとき、私は、ふと思った。

私は「想い出」を遺すために、生きたい。

人生の最後には、たくさんの温かい想い出に囲まれていたい。
私を送り出してくれる人が、私との想い出を思い浮かべて、温かい気持ちになってほしい。

生きることは「想い出づくり」なのだと、そう思った。

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生きていると、目先のことでいっぱいいっぱいになる。

これもあれもしないといけない。
とてもゆっくりする時間なんかない。
もっと効率的にしないとだめだ。
ムダなことをしてる時間はない。
急げ、急げ、急げ……

けど、ふと思う。
そんな急ぐ必要、あるかな?

きっと私は、人生の最期に「あぁ、もっと働いておけばよかった……」とは、思わないだろうと、おもう。

それよりもっと、

妻と初めてデートした場所とか、
子どもの弾けんばかりの笑顔とか、
家族みんなで旅行した想い出とか、
仲間の言葉が温くて嬉しかったこととか
美しくて目を奪われた朝日のこととか。

心がほっとしたり、
飛び跳ねるくらい嬉しかったり、
感動して涙をながしたり。

そんなことのほうがよほど、
最期の瞬間、私の心に寄り添ってくれる気がする。

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どんな想い出を残していきたいか__
自分の人生を考えるうえで、大切な指針を学んだ気がする。

一日一日をていねいに。
一瞬一瞬をたいせつに。
想い出が手からこぼれ落ちないように、
胸にしっかり刻んで、私は生きたいな。


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