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「好き」の動機が分からないから一旦放っておいた

多くの人が熱中しているもの、いわゆるメインストリーム。私は、自分がそこにうまく乗れていないという自覚がありました。人口が多い場所や流行しているものに対して、どこか距離を感じてしまうのです。みんなが楽しそうにしているのを見ると、少し寂しい気持ちになることも正直あります。しかし、それ以上に気になったのは、なぜ自分がそう感じてしまうのか、ということでした。

私は、文化が発展するためには、尖った考えを持つ人が必要だと信じています。そして、個々が独自の興味や関心に没頭するのは素晴らしいことだと考えています。ただし、本当に「尖る」ためには、純粋な「好き」という気持ちや情熱が不可欠だと思うのです。

そこで、自分自身の「好きなこと」について、その動機を深く掘り下げて考えてみました。(結構時間がかかって大変でした。)すると、意外なことに、多くの行動が過去のトラウマを癒すためのものであることに気づいたのです。

例えば、私はアニメが好きですが、純粋に作品を楽しみたいというよりは、アニメの世界に没頭することで現実逃避をし、心の安らぎを得たいという気持ちが強いのです。大学で一生懸命勉強するのも、親の期待に応えるのではなく、初めて自分で計画を立てて行動したい、という思いが根底にありました。

こうした動機を認めたくない自分もいます。「本当に好きなこと」に突き動かされて行動したいと願っているからです。しかし、心の満たされない部分を埋めるために、これらの行動をしないと空虚に感じるのは事実です。

そのため、周りからは「この人はこういうものが好きなんだな」と思われても、私自身は「自分の満たされない部分を埋めてくれるものを探し当てた」という感覚なのです。これが本当に自分の好みと言えるのか、それとも単に斜に構えているだけなのか、常に自問自答を繰り返していました。

解決策とこれからの展望

どうすればこの状態から抜け出せるかなと考えました。 私は、トラウマを癒すことを最優先事項に据えるのが、今の自分にとっての正解だと考えました。トラウマから完全に解放されるまでは、その解消に積極的に取り組む必要があり、その後で本当に好きなものを探せばいいということです。

他に意識できることは、行動の複利効果です。私の場合、癒しになるなら、行動の内容は何でもいいと考えています。それを逆手に取って、複利効果の高い行動を選択することができます。

例えば、継続することで価値が上がり、スキルとして身につくものや、成果が形に残るもの。楽器でもスポーツでも良いから、無理しない程度に方向性のいいものを選びたいです。

最後に、愛着障害に気づいてからは、考え方の基礎を振り返る勇気が必要な場面が多くありました。この微妙な違和感から心の基盤を探ることで、世界の見え方が変わることがあるので、今後もしっかり文章にしていきます。

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