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私だからできる高齢社会の最前線-株式会社emome 森山穂貴-

はじめまして、emome 森山穂貴(モリヤマホダカ)です。
emomeでは、高齢者・介護領域で事業を展開しており、
「幸福感と経済性のある高齢社会モデル」を構築しています。
日本で高齢者に価値を届けられる環境をいち早く作り、世界に輸出する。これが私がやりたいことです。

当社の概要は下記をご覧ください。

森山穂貴とは

生まれた時から海外。多様性は当たり前。

2002年に、香港で生まれました。
当時、父は日系金融機関につとめていました。
当時は、英国から離れてまもなく、ブリティッシュと中国の言語文化が入り乱れ、まさに多様性を前提とする環境。
何もよくわからないままに、インターナショナルの幼稚園に通うことになるのですが、今でも覚えているのは「ジャンケン」が各国で全く異なり、それで喧嘩するほど、国境を越えた交わりがありました。
とはいえ、香港の滞在期間は4年ほど。
大した記憶もありません。

その後は一度日本に帰国し、またシンガポールでの7年間を過ごすことになります。
別にシンガポールにいる間は、特段違和感はありませんでした。
ただひたすら目の前に集中し、周りに負けじと積極的に行動しました。

衝撃の日本

中学1年の時に、シンガポールから帰国し、
東京の普通の公立中学校に通った。

しかし、実際に、中学校で改めて日本の学校に通うとどうであったか。

プレゼンはおろか、質問もあまりしないような環境になっていました。
ここで、私に一つの疑問

日本はどうしてしまったのか。

私は、日本という国が好きです。
なぜかわかりません、愛国主義と言われればそれまでなのですが、
日本推し、日本ファン、みたいな感じです。
人も好きだし、食も好きだし。自分のアイデンティティのある国ですから。

そんな中、この状況を見て、正直、辛かった。
失望したという表現の方が正しいでしょうか。
毎日がつまらなく感じ、だがどこかでこの気持ちは、寂しさというよりも
日に日に、赤い炎のような、怒りのような、ものに変わっていったことを感じています。

日本をなんとかしたい、が原動力に

この怒りのような気持ちは、私を大きく前進させます。
当時、ただの帰国子女で、そう勉強ができたわけではないです。
また、視野もそんなに広くはなく、高校時代にできることも限られていると感じていたので、
国を動かすためにできることは、、

東大を目指すこと

くらいしかありませんでした。
当時コロナ禍でしたので、1日で最大17時間くらい勉強しました。

受験生時代の勉強を支えてくれたフォーサイトでは、PVにも出していただいています。

ギリギリ合格

実は、まあまあ勉強したと言いながら、
東大を推薦で、最初は受けました。
こちらは、高3の12月にしっかりと落ちまして、急ぎで試験対策を進め、
同じ年の2月に合格ラインに滑り込みました。

東大に入ってから

大学入学後は、ビジネスコンテストを運営するサークルに入り、
1年半在籍、うち最後の1年は代表をやっていました。
有名経営者も数多く輩出したサークルで、
今でも、先輩方を本当に尊敬しています。

そこでやっていたことは、下記にまとめていました。
(当時は今よりも、勘違い野郎だったので、今見ると文体が生意気だなと感じ、恥ずかしさすら覚えます)

サークルも引退した頃、私の先輩はみな起業するという連番が起こっており、この流れで私も起業することにしました。
(表向きは、違う理由にしていますが、結局本当のところは、こんな理由です)

エリート意識に塗れた勘違い大学生が起業した末路

結局、遡ってみれば戦略コンサルにノリで入る、とか外資系投資銀行にノリで入る、とか、それに近い感覚で起業してしまったわけです。
半年ほどで、痛い目を見ます。
全くうまくいきません。それもそのはず、なんも知らんのですもん。
最初からうまくいくはずはないものですが、
私自身は、もともとあった躁鬱のうつ状態がこのとき極端に出て、
まともな思考が出来なくなりました。
あるとき気づきました。
私自身が辛かったのは、
売り上げがゼロであることでも、
会社が成長していないことでもなくて、
心の奥底でエリートだった(と思っていた)、
今まで割とうまくいっていた(と思っていた)、


なのに


という、このなのにの呪縛に他ならなかったのです。
自分が自分を苦しめるとはまさにこのこと。
だけれども、同時に楽にもなりました。


そもそも、僕
なんもすごないわ


っていう当たり前のことに気づいて初めて、何も考えず、
自分のやりたいことに取り組めるようになった気がします。


じいちゃん・ばあちゃんと向き合うように

東京の競争から逃げ出したくなり、
私は、地元・大阪に戻りました。
私の家業は、介護業界草創期からベンチャーマインドで事業を続けてきた法人で、今では、業界では相当珍しく、介護保険外をおまけ程度ではなく、本
気で力を入れているユニークな企業です。


そんな家業を手伝い、一方で、東京でできたネットワークがあったからこそできた家業への貢献があり、ふと思いました。

家業があることは、めっちゃラッキーやん

また家業とベンチャー、というテーマはどこかでお話しできればとは思いますが、家業はなかなか他にはないアセットです。
また、かろうじて運営している法人というよりも、私の家業の場合には、
古びた企業というよりも、正しく大阪で展開しているモデル自体に、
全国に広がる可能性がありました。

私たちは、まさにこの家業をミクロな実証環境とし、
全国展開できる、これが強みです。


海外からも注目

最初は、割と軽い気持ちで始めたこの領域ですが、
結構おもろいんです。

日本国内にいると見えないですが、
世界一の高齢化率を持つ日本の高齢者領域は、
ものすごく注目を浴びています。

特に、介護「関連」領域がアツいです。
介護保険制度は日本特有のものです。
海外では「介護=富裕層」というくらいに
金を持つものに向けたサービスになります。

つまり、クオリティやバリエーション、ホスピタリティが求められる領域になります。
日本でどのように、高齢者が満足する環境を作れるかが、
世界に対して産業として発信できるかの差分になると考えています。

Born Global よりも From Japan

最近はBorn Globalなんて言われるようになりましたが
私のグローバル性は「From Japan」です。

生まれた時から基本的にディスアドバンテージです。
英語も喋れませんし。

また、私は日本のファンです。
この国が好きです。
この国が、世界の中で躍動すること以上に胸がおどることはありません。
スポーツが好きかと言えば、まあそこまで、なのですが、
日本代表戦は食い入るように見ます。
日本の企業やIPが世界で活躍するところを見ると、胸が高鳴ります。

日本が、世界で躍動するために、
今私ができること、
それは、
他にはないユニークな家業を持った、この高齢者の領域で
世界に先駆けたモデルを作ること、その他にはありません。

気持ちだけは、いつでも日本代表です!


株式会社emomeでは、共に産業を創ってくれるメンバーを募集しています!
ご応募お待ちしております!

株式会社emome
HP: https://emome.co.jp


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