つくばマラソン、その前日

ついに明日。

僕にとってのひとつの節目。それがどういう節目なのかはよくわからないけど、明日、つくばマラソンは予定通りに決行され、そしてある程度の時間が経過したのちに終わるだろう。

2週間前に予行練習でフルマラソンを走ってから、左足首の痛みで結局、一度も走ることができなかった。つまり、明日は2週間ぶりのランということになる。

ひたすら患部に湿布を貼り、サポーターを当てたり、できる限りの対応はやってみた。おそらく、関節に炎症を起こしているのだろう。何日か前から消炎鎮痛剤を内服している。それでどうにか、昨日あたりから左足を引きずらずに歩けるようになった。

ところが一昨日あたりからどうも風邪を引いてしまったようで、昨日は鼻の奥あたりから脳天にかけての重い頭痛があった。消炎鎮痛剤を内服していたおかげか、さほどひどい症状にはならなかったが、それでも微熱があった。内服がなければ、それなりに熱発していたかもしれない。

でも、去年からこれまで、ランニングをやってこなければ、もっと重症化していたんじゃなかろうか、とも思う。だいたい僕は、季節の変わり目に大きく体調を崩してしまっていたけど、走り始めてからはそういうことがなくなったような気がする。

今日の日中はちょっとした買い物に出たくらいで、あとは家で読書をしていた(中村文則さんの『教団X』を読了した)。読書中に耳が熱くなってきたので体温を測ると37.2℃だった。僕は解釈に戸惑った。

無理はいけない。体調不良を無視したって走りきれるわけがない。それどころか、たくさんの人に迷惑をかけることになるかもしれない。

いや、やれるところまで挑戦するべきだ。いつだって自分に甘めの予防線を引いてきたじゃないか。そういう自分を変えたくて走っているんだろう。微熱くらいで怯むんじゃない。

しかし途中で倒れたら? 動けないくらいに体調を崩したら仕事はどうなる? 責任ある立場にありながら、あえて無謀な挑戦をするなど責任の放棄に他ならない。

先祖たちを思い起こせ。彼らは足首の痛みや微熱を理由に戦を免れられただろうか? 苦しみの向こう側に突き抜けたその時、真の強さを得るのではないか。

僕のなかで「大事をとる派」と「あくまで挑戦派」のせめぎ合いが続く。

僕が明日、フルマラソンを走ろうがやめようが、リタイヤしようが完走しようが、世界は何も変わらない。あくまでこれは、個人的な挑戦であり、やるもやらぬも僕の自由だ。

せめぎ合いは明日の朝まで、いや、スタートの号砲が鳴らされるその時まで続くだろう。初めてのフルマラソンでうまく調整できなかったことは否めない。しかし、それもこれも含めて、それが僕の初めてのフルマラソンなのだ。

ほっと一息つけるような結果か、あるいは散々な結末か。いずれにせよ、明日という日はもうほとんど間違いなくやってくる。そして明日の今頃にはすべてが終わっていて、繰り返されていたせめぎ合いの結論も出ているだろう。

ついに、明日だ。

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