Hodaka
マガジン初挑戦です。気づいたこと、思いついたことを話していきます。 仕事を休職すると会話する頻度が減ってしまい、声を出さなくなってしまう。そうならないためにも、何かを話していこうと思います。
腹心懊悩(ふくしんおうのう) 人は皆、心の内に悩みを抱えています。その悩みを知らずに接触することが多いです。 古典の世界では心の内はあまり描かれません。個展を題材にして、心の内を書いてみようと思います。
これで3回目。 あいつが俺の餌を横取りした回数。俺は忘れない。食い物の恨みは恐ろしいと人間は言う。人間だけではない。俺らの世界でも同じだ。 一回目は、枝にぶら下がる芋虫を見つけたときだ。俺は思わず声を上げて、飛びかかった。あいつはその声に気づき、ほんの一瞬遅れて飛び出した。左右に揺れる芋虫に狙いをさだめ、飛びかかる。タイミングはばっちりだった。もう捕まえられると思った瞬間、自分の意思とは関係なく、俺は体勢を崩しかけた。本能的に落ちないように体勢を調えようとして、芋虫を食う
階段に飛び込んだ瞬間、ネコの爪が壁をえぐり、その板が入り口を塞いでしまった。真っ暗な状態になってしまった。 階段は下に続いていた。壁に手を当て、手探りで下に向かっていく。時折、上の方から振動がくる。まだネコは俺のことを探しているようだ。 とんでもないことになってしまった。命拾いをしたかと思いきや、小さいサイズになってしまい、助けてくれたおっさんはネコに殺されてしまう。事情が分かったとはいえ、俺はこれからどうすればいいんだろうか? そんなことを考えながら、ゆっくりと下に降
小さいおっさんはひとしきり話すと、水瓶からコップいっぱいの水をすくいだし、一気飲みした。 「元のサイズの時は、これくらい話したところで水分補給は要らんかったが、この体だとかなりきつくなる。水分が足りんくなったら、急に体の力が抜けて、頭がガンガンし出すで。おっさんもそろそろちゃうか?」 「ん?なんともないけど・・・」 といった瞬間だった。体が鉛のように、というより床に引きつけられる感覚になった。次の瞬間、俺は地面に這いつくばっていた。 「ほら、いわんこっちゃない。あれだけ
声の主は小さい人について説明を始めた。 外に出たら食われる。そう思ったら怖くて、なかなか外に出られんかったんや。あの食われたおっさんが蓄えてた食料で生き延びようと思ったけど、食料なんてなかったんや。あったんは、大きな池だけやったんや。あとで知ったんやけど、多分バケツやったと思うわ。 水だけ飲んで暮らし見ると、ほとんど腹が減らんかった。なんか食べたいっていうのは習慣的なもので、小さくなると食事はほぼ必要なくなった。ただ、水分だけは取らんとあかんかった。体が小さい分、蓄えられ
声の主のおっさんは語り始めた。 俺が生まれたのは、1880年や。明治時代、大坂の商人の第三子として生まれた。兄貴が家業を継ぐので、俺は13歳の頃に、跡継ぎに恵まれんかった知り合いの商家に売られたんや。売られたっても、その家の跡継ぎになれるって話やから、当時にしたらええ条件やったんや。 その家に入って翌年には、日本が清に宣戦布告したんや。今で言う中国やな。今では日清戦争って呼ばれているけど、このとき、奉公先の商売が当たってな。飛ぶように品物が売れたんや。戦争特需ってやつやな
そこは薄暗い部屋だった。ふかふかのベッドの上にいた。少しザラザラしている。森林の香りがして、心地よい気温の部屋だった。 ぼーっとした意識の中、手元に目をやった。掛け布団は真緑だった。真ん中に太い黒い筋が通り、そこから均等な感覚で細い黒い筋が伸びている。緑のにおいがする掛け布団だった。 布団に目をやると、茶色い粉みたいなものがたくさん積み重ねられている。弾力があり、温度も人肌を保ってくれている感じだった。 ベッドのフレームは木目調で自然木を想起させるものだった。床も壁も木
今度は奈良で50代男性が行方不明。 日本中を見渡せば、行方不明になる人は数多くいる。しかし、ここ最近は、関西圏でおっちゃんの行方不明が続いている。 ニュースでは、社会が疲弊し、50代でリストラにあったサラリーマンが鬱になってしまい、失踪したのではないかと言っていた。 しかし、ここ2か月の間に、大阪で5件、兵庫で4件、京都と奈良で3件、和歌山で2件起こっている。滋賀は今のところ情報はない。これらの共通点は全て30代後半から50代のおっちゃんたちであることだ。 いつも通り
余剰人として、すぐに動けるようにスケジュールを空けておく必要がある。他の仕事で時間が無い状態では、いざというときに仕事にありつけない。それに余剰人は、先に余剰人の仕事が入っている時以外、時間の都合がつかないという理由で仕事を断ることが出来ない。 余剰人は基本的に余っている人になるため、身動きが取れなくなるような継続的な仕事を行うことはできない。病気など長期離脱をする場合は、余剰人の登録所に連絡し、一時受付不可の申請を受けなければならない。それ以外の受付拒否はできない。 時
余剰人は全国で30万人ほどいる。各分野のエキスパートなので、余剰人人口は非常に少ない。政府は2000万人を目指していて、人々の労働時間を減らすように考えているようだが、資格を得るためのハードルが非常に高い。 それに現在30万人なので、仕事にありつけるという現状がある。確かに月に10日以上の依頼があるため、もう少し余剰人が増えても良いだろう。 余剰人にもコミュニティが存在する。仮想世界に余剰人が集まって情報交換をしている。このコミュニティに入るためには、合格証明書を読み込ま
俺は2192年に生まれた。 ミチルウイルスによる人類の危機の最中、俺は生まれた。コロナウイルスが流行った頃、旧日本の出生数は約84万人だった。その後生活苦も進み、一時期65万人台まで下がった。 しかし、コロナウイルスによって社会が変容し、社会での人と人の繋がりが薄くなり、家族を大切にする風潮が生まれた。また、インターネットが全世代に浸透し、それまで危ないモノとして認識されていた出会い系アプリの地位が確立された。そうして、若者は実社会での出会いではなく、インターネット上での
さて、今回は余剰人制度について記録しよう。 俺はプロの余剰人である。今は立派な仕事となったが、一昔前まではニートと同じように扱われていた。ニートは2000年代に話題になった。働かず、学業に着かず、仕事をしようとしない人のことを指す。 コロナウイルスの時は、対策の仕方があったので、恐怖心が強い人以外は、旧来通りの生活を行っていた。学校や会社にいき、皆と顔を合わせて生活していた。 しかし、ミチルはそうはいかなかった。マスクをしていようが関係なく感染する。感染すれば、ミチルに
お疲れ様でした。これが今回3日間の報酬の6万6千円です。 3日間、都内にある某私立高校で担任業務を請け負った。何でも、担任の先生の身内にご不幸があり、慶弔休暇を取得したため、その代わりがいなかったということだ。 担任業務と言っても、昔と違って教室に行く必要はない。生徒は各家庭から学校オリジナルのサイトにアクセスしてバーチャル教室にログインする。以前はアバターと呼んでいた自身の分身ではなく、ほぼ完璧な自分自身が仮想世界に存在し、やりとりすることができる。 担任も同じく、バ
双極性障害について話しました。本当に簡単な説明です。初めて双極性障害になった方も、双極性障害を知らなかった方も、少しでも知ってもらえたらなと思って更新していきます。
入門 利達が十歳の時、香壇山長楽寺に入門しました。入門当日は、利達の父は姿を現しませんでした。出自を隠しておきたい状況にある者が多いので特別に変わったことではありませんでした。寺門の近くまでは母が見送ってくれましたが、寺院には自分一人で行き、門扉を叩きました。 長楽寺側では、利達の存在は話題になっていました。出自は皆それぞれに抱えていますが、万寿弥が政界を引退し、再び仏門に戻ってきた時、苦しい政界の話の中でも、親しかった利達の父の話をしていたからです。利達の父は、政界の
エピローグ これは遠い昔のお話です。香壇山長楽寺という場所に、一人の稚児が預けられることになりました。稚児の名前は利達。齢十歳。有名貴族の落とし胤です。男児として生まれたものの、その出自から親の威光による出世が望めません。幼い頃から母に口酸っぱく教え込まれ、この世に対する期待も、気力も失っていました。できれば何もしたくない、平穏に暮らせればそれでよいと考えていたのです。 利達の父は、利達に対して大いに期待していました。この時代は字を書くことが一つのステータスです。誰でも