《障害を抱えて生きる》むかしのはなし。
もう10ウン年も前。
まだ、障害者雇用なんて考え方がなかった頃。
心療内科に通っていることがバレた私はクビ切りにあった。
『隠していたのが許せない』
雇い主からそう言われた。
…そんなこと言われたって…。
さて、また『隠して』仕事を探すことができるだろうか?
だが、この頃は自分の住所まで両親の都合でコロコロ変えられ、名字も二度変えていた。
法的に自分が何家の人間なのか、自分の法的な住所が何処なのか❝サッ❞と出てこないほど混乱していた時期だった。
心療内科的に『自分が誰かわからない』だけでなく、法的に『自分が誰かわからない』という異常事態だった。
クビを切られたそのあとは両親の離婚に振り回されすぎて気絶したり意識を失ったり、あ、一緒か。
していた。
次は隠して仕事探しは無理だ。
それはわかっていた。
ただ、面接で病状を話してしまえば
『…フツーの人じゃないんだよね?』
と履歴書を突き返された。
確かに『気絶しちゃう人』は現在であってもどこにも雇ってはもらえないのだけど…
また、ダメだった…
昭和を引きずる喫茶店。
隅っこに座った。
…でもなぁ、気絶しゃうって知らなきゃ雇い主さんも同僚も絶対困っちゃうんだから。
言わないわけにいかないし…
そのタイミングで、知り合いから『元ヤクザさんの就活』の話を聞いた。
その元ヤクザさんは履歴書を持って面接に行ったんですって。
一通り面接官と話をして、
『まぁ…感じの悪い人間とは思わないけど…
…フツーの人じゃないんだよね?』
と言われてしまったそうです。
その方とは直にお会いしたことはなく、共通の知り合いを介して知ったのだけど、
こんなことを言ってみえたそうな。
『俺は好き好んでヤクザになって、
好き好んでヤクザをやめたからな。
もう❝フツーの人じゃない❞と言われるのは仕方がないと思えてる。
だが、病気は❝好き好んで❞じゃないから気の毒だよな。
なりたくてなったわけじゃないからな
❝フツーの人じゃない❞なんて言われたくないだろうな』
知り合いから『そう言ってたよ〜』と聞いたときに『元ヤクザさんの方が話わかるな(笑)』と妙に笑えたのを覚えている。
あまり賑々しくないお店だった。
むしろ、お洒落なカフェなんて居づらくて。
そのお店はもうない。
一昔前まではこんな感じで、『障害を持っていたら社会に入れてもらえなかった』のだ。
施設に入るか、一生家族と暮らすか。
もちろん、ギリギリ隠せたら隠す。
そうして働くしかなかったから。
障害者雇用。
じっくり考えたら変な言葉だ。
そもそも、個人個人に合う仕事が違うのって『当たり前』なんだけどね。
だけど、この仕組みがなかったら私はこの世から消えるしかなかっただろう。
昔は、
病人なら家族がみてくれるだろう。
障害者なら家族がみてくれるだろう。
と社会が家族そのものをセーフティネットとして見ていた。
家族そのものを生活インフラとして見ていた。
それが通用しない時代が来たのだ。
病人でも障害者でもなくてもね。
まだ二十歳くらいだった私は自分が『元ヤクザ』と同じ扱いをされていることに、
諦めと疑問と妙な笑いを感じていた。
あのテナントはいまは若い人がオーナーをしてお洒落なディナーを出すお店を営んでいる。
ふと思い出した。
むかしのはなし。