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おトイレの壁。
昔のおトイレの壁って、卵型のタイルが埋め込まれて綺麗だったよね。
もう更地になっているが、祖父の家は築100年超えの古い古い家だった。
外にあるくみ取り式のおトイレは子供には怖くて仕方ない一方で、私は床や壁に埋め込まれているタイルがとても好きだった。
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まだ私が一人でくみ取り式トイレをまたぐのは危ないくらい幼い頃、私は祖父宅の駐車場でタイルを拾った。
小さな卵型の…灰色と茶色のまだら模様だったので❝うずらの卵❞みたいな。
私の小さな手のひらには大きく感じた。
きっと今の私の手のひらではとても小さく感じるだろう。
うずらタイルが嬉しくて周りについた苔や泥をティッシュで拭い、私は珍しく在宅していた祖母に見せた。
ものすごく叱られた。
ビックリしたし、悲しかったし、怖かった。
どうして軽トラの足元に落ちていたタイルを見せたらおばあちゃんが怒鳴るのか、全く解らなかった。
「……ねぇ、おじいちゃん。
おばあちゃんにタイルを見せたら怒られたよ。
いつもは優しいおばあちゃんなのに、どうしたんだろう…わたし何かしたかなぁ?」
祖父は静かに言った。
「薬が効いとらんのかもな…怒りっぽくなっとる。
〇〇や、それ(タイル)はばあちゃんに見せんとき。
〇〇が便所の壁から外したと思ってどやるで」
祖母は末期の癌で、痛み止めが効かないときは怒りっぽくなっていたそうだ。
同時に自分の死期も悟っていたらしく、相当苦しんでいた時期だったと私は後に知った。
翌年くらいか。
祖母は亡くなった。
卵型のタイルが好きな反面、タイルを見るたび「死が忍び寄る恐怖に耐える祖母の姿」が私の中に蘇る。
祖母は人一倍大人しく、我慢強かった。
凍えるような寒さのなか、水仙を愛でる人。
私が成人してから祖母の遺品が見つかり、息を呑んだ。
姑にいびり倒され、小姑もわんさかいた時代。
「バカだバカだ」
といじめ抜かれた祖母の手記は古代ギリシャの哲学者の名前が度々挙げられており、どう読んでも「バカの書いた文章」ではなかった。
(今のようにネットが普及していない時代だったから、実際に哲学の本を手にとって読んでいたのでしょうね…。あんな山の中で、尋常小学校の時代に、どうやって?と謎ばかりが残るのですが…)
時代背景もあって、バカを演じ抜いた祖母。
時代的に、バカを演じていた方が安全だったのは間違いない。
下手に賢さを醸し出せば、もっと酷いいびられ方をしただろう。
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タイルも落ちている。
苦しい記憶なのか、大切にしたい記憶なのか、自分でも判別がつかない瞬間がある。
2月に花粉症で匂いがわからなくなってきた頃に、ふわっと水仙の香りがしてくると、一瞬顔を背ける。
「ムリに笑わないでよ…辛いくせに」
記憶の中の祖母に毒づく。
同時に、私を罵倒し猛り狂うハハに、
「お前は〇〇の優しい心まで殺してしまうつもりなのかい?」
そう言い放ち、私を庇った祖母のごつごつと骨張った痩せこけた身体つきの感覚が蘇る。
私が5歳のときに祖母は亡くなった。
あまり、祖母が在宅していたイメージはない。
ほとんど病室での対面だった。
不思議なフレーズではないか。
…心まで殺してしまうつもりなのかい?…
それじゃあ、
祖母から見たら、私の身体はもう死んでいたみたいじゃないか。
バカだよな、わたし。
何だかんだ、記憶の中の祖母に支えられてるんじゃないか。
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❝シータイル❞って呼ぶ人もいるみたい。
また夜中にアクセサリーを作っていたようで…
他にもたくさん作られているのがちょっと不気味だけど😅
どこかのおトイレの壁だったかもしれない拾ったタイルに諸々思うところがあるくせに、意識がなくてもアクセサリーに加工をしてしまう私。
(意識ないのに夜中にごそごそ作業して、近所迷惑になっとやせんか?…ちょっと心配。)
死の恐怖と闘っていた祖母が、私を庇っていたんだ。
もしかしたら、簡単に死を選べる環境にあったのに「生きろ!」と自分にムチを入れ続けて来たのは、こういった記憶さえ巨大な脳内絵画としてインプットされているからかもなぁ…
記憶というより、タイルを見たときの条件反射だけど。
たまに、レトロなおトイレで涙が溢れてくることがある。
そのまま私を泣かせておく。
庇ってくれた人がいた事実をキチンと憶えていられたことが有り難いから。
記憶に縛られて、記憶に生かされている。
おトイレからのすすり泣きはオバケとは限らない。
おトイレの壁には私を生かした記憶が埋まっている。
それを足掛かりに生きていく力がイマ試されていると感じている今日この頃。