白いねずみさんは私だったのかなぁ?
手前味噌でごめんなさい。
自分の創作童話です。
早朝、ふと読み返したら、なんだか涙が止まらなくて…
いつもは二重まぶただけど、すっかり一重まぶたに(腫れちゃったんだね)。
でも、何となくこれはこれで壇蜜さん風で色気があるかも。
泣き腫らした顔を撮りたがった、昔、縁あったカメラマンを思い出す。
先日亡くなった喫茶店のマスターより年上だから…生きてるかな…この街にいればまた会えるかもなんて思っていたけど…。
はなし、逸れちゃった(笑)。
たぶん無意識に、白いねずみさんは私を表しているんだろうな…
私が死んで誰が泣くの?
むしろ、泣くのは清掃業者と大家でしょ?
事故物件になっちゃうし〜
と辛口コメントしていた自分も、白いお月さまみたいな「あなたがいなくなったら淋しいよ?」と言ってくれる人を渇望しているのかも。
とか。
そもそも、自分で隠した木の実を探して、
「おかしいなぁ、この辺のはずなのに」
なんて、私の日常風景(笑)。
あなたがいなくなったら淋しいよ。
そうお月さまに言われて、ふふっとねずみさんは喜びます。
そして、ひとり立ちが早すぎてよく覚えてない家族の夢を見るのです。
私にはありえないエンディングかもしれないけれど、このねずみさんは幼くしてひとり立ち、つまり❝大人❞になってしまったんですね。
そんなねずみさんに心の底から、
「温かいね…幸せだね…」
と涙をこぼしました。
「よかったね…お月さまが淋しいって…」
ポロポロ泣いていました。
自分が書いた創作童話に泣くなんて、なんてアンポンタンでしょう。
でも、心の底から白いねずみさんを祝福する、私の涙に嘘はなく。
わらに包まる白いねずみさんに「幸せを感じたね」と声をかけました。
現実と創作に区別がない自分もどうかと感じましたが、創作童話は一種の自分への許しや、幸せの道しるべになるのではと感じました。