自分の恋愛対象が生身の人間じゃないかもしれないと感じた。
私は強い男と付き合いたい。
が、今まで付き合った男は「女を虐げるのが強い男」と勘違いしていて、しかも幼稚で親離れできないお子ちゃまオジサンだった。
だから見切りをつけて切り捨ててきた。
最近、全くなくなってしまった恋愛感情を取り戻さなきゃと「ふと」思い、本を読んだ。
ホラー小説だ。
成仏できない怨念と主人公が攻防戦を繰り広げるタイプだ。
死してなお、この世にとどまり、執念を燃やす…
強い!!
…きゅん♡
結局、私は自分の生い立ちと相手の生い立ちを比べては、相手が私と同じ道を通ってきていたら正気を保っているだろうか?
生きているだろうか?
と考えてしまうのだ。
いや…コイツなら気がフレているか自死しているだろう。
そう思うと目の前の男を「弱…っ」と思い一気に冷める。
そうか、そうなんだ。
虐待を受け、オヤに刃物で襲われ、首を絞められ、異性に暴行され、住む場を失い、ヤ○ザに追い回され、投身自殺を試み、何度も生死の境をさまよい…それでもまだ自分に息があると知ると気をしっかり持ち生き延びてきた。
目の前にいるこの男は、私と同じ道を通れただろうか?
そう考えると、すべての男が弱く見えてしまう。
私は遂に気づいてしまった。
自分より強い男を探すのは無理かもしれない、と。
なぁんだ、だからホラー小説の死霊や魂魄にときめくのか♡✨
まぁ、死した「ご遺体」の方にときめくわけじゃないからセーフか?
平将門なんかは大スターだもんね。
(この人、単に賊の制圧に行っていつの間にやら悪者扱いされて殺されちゃった気の毒な人なんだよね…本当は正義感から行ったことなのに…)
もちろん、家庭で愛されて育ってきた人が実際弱いわけではない。
それはわかっている。
ただ、感覚があまりにも違いすぎてお互いに共感できないため「愛情」がわかないのだ。
これは私のPTSDに起因する人間関係構築の点での弱所である。
サバイバルすることが私にとっての強さだから、死ぬかもしれない、殺されるかもしれないという気持ちが理解できない人は私の中で「弱い者」に分類されてしまう。
違う方面から「強さ」を見いだせないと、私が恋愛をすることは難しいだろう。
だから、今までの男を愛してはいなかったとハッキリわかる。
呆れていたから一緒に居られただけ。
怒りというより呆れていたから。
「ぬるい奴」と。
別れてからやっと怒れた。
生身の人間に恋愛感情が抱けない。
私はあまりに長く戦場にいたのか。
生身の男性に恋愛感情が持てなくなっていると気付いた。
私は戦いすぎたのだと。