《障害を抱えて生きる》言葉遣いに対する複雑な気持ち。
『障害者』
私はこの言葉にポジティブな感情を抱くことはできない。
この記事は『子供扱いな言葉遣い』に対して私が感じていることを書いていますっ。
昔ほど露骨ではないが、私が『障害者手帳』を持っていると知った途端『言葉遣い』が変わる人が一定数いる。
悪い人ではなく、『障害者なら難しい言葉がわからないだろう』と❝小さな子供❞に対する話し方モードに切り替わってしまう人たちだ。
悪意がないだけにコチラも指摘しづらい。
悪意がある人は露骨に『不穏な表情』をしてくる。
言葉遣いがアレなだけで、むしろ一生懸命説明してくれる優しい人たちなのだけど…
すごく難しい話なんだけどね。
自分自身、二十歳くらいのときに携帯ショップで身分証を求められた際に『障害者手帳』を出したことがある。
そしたら、いままで普通に話していた女性スタッフが、
『いまからね、このカードをおねぇさんがピッてするからね〜
そしたらちゃんと使えるようになるからね〜
チョット待ってね〜』
❝おおっ!❞
というほど、口調が変わり不愉快な思いをした。
今の今まで普通の接客だったのに…
障害にも色々種類があるからな…。
確かに難しい表現だと困っちゃうから『シンプルな言葉で話してほしい』という方もいる。
それでも、やはり赤ちゃんでもあやしているかのような言葉遣いはどうなのかと感じた出来事だった。
それから10年ほど経って、私よりフォローが必要な方がほとんどの施設でお世話になった。
すごく落ち込んだ。
なんと私も同じように『子供相手』のような簡単な単語を選び、『〜するんだよ』『〜しようか』と他の利用者さんに話していたのだ…
気付いたときにすごくショックだった。
『目の前にいる女性は私より上の方だし、冷静に考えたら❝大人の女性❞なのに…
なんて失礼なことしてしまったんだろう…』
自分がされて嫌だったことをしてしまったのが悔しかった。
この話を当時お世話になっていた社会福祉協議会の方に話したら、
『あ〜、あるある。
しまったなぁと思うんだけど、つい相手を子供扱いしちゃうんですよね。
こう、手助けしたくなっちゃうから…
もう福祉関係者あるあるですよ』
だよなぁ…と思いつつ、やっぱり障害の有無で『大人の女性』扱いされないのは嫌だ。
だから私は自分より症状の重い人にも丁寧に話したいと強く思った。
実際には『丁寧な雰囲気』で話しつつ、たま〜に『タメ語で感想』を挟むのが私のクセらしくて(後にこれはホステスの常套句だと知る笑)、よっぽど『子供扱い言葉』は出てこないが。
(※一部の虐待サバイバーは案外『相手の警戒心を解くのがうまかったり』します。自分の身に危険が及ばないように本能的に身につくらしくて)
未だに市役所の福祉課で『子供扱い』な話し方をする職員さんにあたることがあるが、目くじらは立てない。
しかし、そのような話し方をするのは女性の職員さんばかりなので、『オカン感』の問題かもしれない(苦笑)。
そういえば男性の職員さんたちから『子供扱い言葉』は出たことがないなぁ。
市役所で手続きしてもらってる立場だし、波風立てたくないし、何にも言わないけれど。
もしかしたら、女性職員さんも『チャネリング』が間に合わないのかもしれない。
お耳の遠いおじいちゃんおばあちゃんも来るところだから、『簡単な言葉を使う』のはきっと大切なスキルなのだと思う。
それでも、自分は『大人の女性』だから❝むむっ❞とは思ってしまう。
ただ、❝むむっ❞と思うことを自分に許し、相手にも悪意はないんだと許せるのは私の強みだと思う。
自分が障害を負ったことで見えた世界のスライドの1枚だ。
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障害は負わない方がいいに決まってる。
それは実感として断言できる。
本人も『これは個性だよ!』と言えることは❝個性❞と呼んでいい。
だが、本人が悩んだり苦労しているならそれはどう足掻いたって❝障害❞なんです。
生きていく上でくっっそ邪魔なんだもん。