反抗期息子と、綱渡りする私の話
「こら!ゲームの時間過ぎてるでしょ!」
「違うよ!待ち時間とかあったから*@;・#%・・・ごちゃごちゃ言い訳」
「待ち時間入れてたらキリがないでしょうが。約束は約束。時間過ぎたら明日はゲーム無しだからね」
「はーい わかりましたぁ~ ごめんなさーい」
バタン!!(息子が部屋の扉を閉める音)
何よその態度はぁぁぁぁああああ!????
二人の息子も中学生なので、最近は母親の私に対して反抗的な態度をとるようになってきた。
その態度にムカッとしながらも、二人の姿を喜ぶ自分もいる。
それは、私が体験できなかった「反抗期」という期間を、彼らが謳歌しているからだ。
今日は、息子達に対するイライラの気持ちを鎮めるためにも、この記事を書こうと思う。
お母さん、救急車で運ばれたんじゃない?
私が6年前 ↑↑この状況になった時、7歳と6歳だった息子達は 近所の広場で遊んでいた。
息子の話によると、突然 近くのおばさんに声をかけられたそうだ。
「さっき救急車が来たけど、あなたの家の前に停まったよ。お母さんかお父さんに何かあったんじゃない?って言われて、慌てて家に戻ったけどお父さんもお母さんもいなくて、そしたらRちゃん(私の姉)が急に来て、お母さんが倒れて緊急で沖縄の病院に運ばれることになったから、ヘリコプターが飛ぶ所に行くよって言われて。あまりにも急すぎてすごく恐かった。オレ今でもヘリコプター見るとドキドキするからね。」
姉からも後から話を聞いたが
ヘリの扉が閉まる時
「イヤだイヤだ~~!!」ってパニック起こして2人とも泣き叫んでたよと・・・。
そんな辛い思いをしたにも関わらず
息子がその出来事を作文に書いてくれて、その作文は小学生の作文コンクールの審査で特選になり、その中からまた選抜で、次のコンクールに出展されることになった。
出展した作品は、原文より少し手直しされていたが
私にとっては息子が書いたそのままの文が一番の宝物なので、原文を載せようと思う。
「ぼくのたからもの」
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「なんとかお母さんをたすけるから、また一緒に4人で寝ようね。」
お父さんは、そう言って、ヘリコプターにのって、お母さんとじえいたいの人といっしょにおきなわにいきました。
ぼくは、きゅうにはなればなれになったので、ポロポロなみだがとまりませんでした。
お母さんは、くもまっかしゅっけつというびょうきで、しゅじゅつと、長いにゅういんをしました。
お母さんのしゅじゅつのしゃしんをお父さんに見せてもらったら、あたまの左がわを切っていっぱいぬってありました。
ぼくは、キズを見て、お母さんはこわがりなのに、あんなしゅじゅつをしてすごいなぁと思いました。
べつべつにくらしているあいだ、ぼくはかなしくて、早くあいたい、早く元気になってほしいとねがいました。
3日間だけおきなわのびょういんにあいにいくことができました。
お母さんは、げんきそうだったのであんしんしたけど、うでにてんてきをいっぱいしていて痛そうでした。
お母さんはぼくたちを見て、
「ずっとからだが痛かったのに、2人にあったら痛みがとんでいったよ。」とニコニコして言いました。
ぼくは、お母さんの手をつないで、あるくリハビリをてつだいました。
そして、お父さんといっしょにお母さんのすきなようふくをかって
「たいいんの日にこれをきようね。」と言って、お母さんをよろこばせました。
それからしばらく、またはなればなれになったけど、お母さんががんばったので、いよいよたいいんの日がきました。
びょういんにむかえにいったらお母さんは、うれしそうにぼくたちをだきしめました。
ぼくは、またお母さんとくらせるようになったのでうれしかったです。
となりにすわっているお母さんが、まるでてんしのようにかわいく見えました。
おきなわから家にかえってきたけれど、お母さんはまだびょうきがぜんぶなおったわけではないです。
でも、とてもしあわせそうに見えて、ぼくまでしあわせな気もちになれます。
お母さんがびょうきになってから、さみしいことやかなしいこともいっぱいあったけれど、家ぞく4人でちからをあわせたから、のりこえることができました。
ぼくにとって、お母さんはたからものなので、これからも長生きしてもらいたいです。
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誕生日を迎えた息子
小学2年生だった息子が書いてくれた全文。
もう暗唱できるぐらい何度も読んだ作文だが
読むたびに、その時の私に向かって必要なことや大切な気持ちを思い起こさせてくれる大切な宝物だ。
彼は私が入院リハビリ中に8歳の誕生日を迎えたのだが、私の体調が良くなかったので、当日はお祝いしてあげられなかった。
退院してすぐ、宿泊先のホテルで小さなケーキを買ってきてささやかなお祝い。
その時に私は謝った。
「せっかくの誕生日、プレゼントもまだ準備できてなくてごめんね。」
すると息子が言った。
「お母さんが助かったのが一番のプレゼントだよ、家族がいてくれればそれで充分だよ」
ろうそくに灯した火をジーッと見つめながらそう言ってくれた息子の瞳の奥に、8歳の子どもらしい寂しさを隠して我慢しようとしているもう一人の息子の姿が見えた気がして、私は息子を抱きしめた。
抱きしめながら、思ったこと。
あのまま死ななくて本当に良かった!!
この子が親の死を受け入れられる歳になるまで
何が何でも生きたい。そう強く思った。
どの息子も、結局は いとおしい。
8歳だった息子が、もう14歳。
今では身長もグンと伸び、150cmしかない私は すでに息子から見下ろされている。
流行の曲や芸能人の名前がわからない私に向かって
「母さんジダオすぎ!!(時代遅れのことらしい)」
と言われ、「そんな変な日本語使うな~」と返す。
でもなんだかんだ、息子はやっぱり可愛い。
生まれて初めて目を開けた時、まぶしそうにボーッと見つめていた眼差しもお母さんと結婚する~!!と真っ直ぐな気持ちで私にとびついてきていたキラキラの眼差しも
ちょっと注意したらふてくされて、私の代わりに床をにらみつけるちょっとキツい目つきも
6年前、寂しさを我慢しながらジーッとろうそくを見つめていたなんともいえない眼差しも……。
どんな目をした息子も、私にとって 大切でいとおしい存在だ。
やっぱり今日この記事を書いて良かった!
あんなにヒートアップしていた息子に対する怒りの気持ちが、見事に凪いだ。
よし、今日はゲームの時間を延長してあげ・・・・・・
って、それとこれとは別!!!(笑)
しっかりするんだ私。
こうして、しつけと甘やかしの境界線の綱をたどたどしく渡りながら
これからも私は 絶賛反抗期シーズンの息子と過ごしていく。
怒りを鎮めるためのこのお守りを いつでも取り出せる机の引き出しにしのばせながら。
今日も読んでいただきありがとうございました。
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