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命の終わりは、命の始まり。

大好きな姉が他界して、17回目の月命日になりました。

姉を亡くした悲しみの気持ちは、一言で例えると波と似ています。

突然、荒波が押し寄せてくるようにドドーッと悲しみが迫ってきて身動きできなくなる日もあれば、ふっと姉の存在をすごく近くに感じて、驚くほどに凪いだ気持ちになれる日もある。

1年5ヶ月という月日が、長いのか短いのかわからないけど、姉がいなくなった直後に比べれば 荒波の回数も減ってきたように思います。

姉が残してくれたものを見返すと、闘病中にも関わらず、何を見ても笑顔です。笑うと目がなくなるぐらいのニッコリ笑顔で、見ている人までつられて必ず笑ってしまう。

 そして思い出す電話の声も笑い声。 はいはーい、何してた?と明るくて。

 病気の辛さより、身体の痛みより、姉はいつもそれ以上に笑いで吹き飛ばそう!みたいな、どっちが病気だかわからなくなるぐらい、周りに元気をくれる存在でした。 

「余命を考えて泣くより、今 楽しもう!今 笑おうよ だってせっかく今生きてるんだからさ(^^)  あんたを残していくのと、あんたの子ども達の成長を見れないのだけが心残り。でも、こればっかりは、考えても仕方ない。」

これが、亡くなる前日の会話の一部です。
私は泣いてしまったけれど、姉は、涙目になりながらも、いつもの笑顔で私に寄り添ってくれました。


それを振り返ると、私が悲しみすぎて、今を大事にしなかったら、それは 姉が私に教えてくれた想いを台無しにしてしまうし

そりゃあ涙も出てくるし、何もしたくない時だってあるけど、姉を失ったことばかり考えるよりも

姉が残してくれた言葉や思い出を並べながら、家族と支え合っていこうと思って日々を送っています。(noteに姉のことを書くと心も不思議と晴れる)

姉は、周りの人にも恵まれ、闘病中も仲間と楽しく過ごすことができて、ギリギリまで幸せそうに見えました。

でもその裏で、本当はたくさん我慢して、作り笑いもして、無理して頑張っていたんだろうなって思うから、今はきっと天国で、痛みなく穏やかに、心からの笑顔で過ごせてたらいいなと願っています。

命って、生まれた時は、とても小さくて、それでいて存在感があって、ずっしり重みもあって、本当に尊い。


でも、どんな命も、最期の時は、ほんの一瞬で、儚くて、誰がどんなに願っても、終わる時には終わってしまう。


ただ、ここからが不思議なもので、「命の終わり」を迎えると
ある意味またその命は、「命の始まり」を迎えているのかもしれないって思うんです。

姉の命としては亡くなって(無くなって)しまったけれど、その命が見せてくれた思いや、共に刻んだ時間、生前に残してくれた言葉や表情が

他の人との会話や眺める景色、思い出を通して姿カタチを変えて、いろんな場面で浮かび上がる。

儚く終えたように見えた姉の命は、どれだけ時間が過ぎても
今もなお、生き続けているんだな~って。

やはり、「命」というものは尊くて、重たくて、素晴らしいものだなと思います。

いつもメッセージを送ってくれる姉ちゃん、ありがとう。
私に書いてほしいことがあったら、夢に出てきて教えてね(笑)

そして読んでくださるみなさんにも、ありがとうございます。

→自己紹介はこちら(ほっこりシンドロームとは)



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ほっころーむ
私の書く記事は多分、伝わる人が限られています。いじめ、機能不全家族、HSP、病気などの記事多めなので。それでも深くせまく伝えたくて書いています。サポートとても嬉しいです。感謝します。コメントも嬉しいです🍀