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ずっと理想だった仕事に転職出来て 大喜びした数ヶ月後

早朝に 母の様子が変で どうしたらいいか一人では判断が出来なくて 叔母に電話をし 妹にも電話をし相談してから救急車を呼んだ

春分の前の肌寒い朝 母の部屋から灯りが漏れていた
店が繁盛し 仕事が増え 持ち帰って一晩中ミシンをかけている事もあったから
"そろそろ寝た方がいいよ"って声をかけようと思い 襖を開けたら
ストーブは付けっぱなし 昨日の服のままで布団に寝ていて 声をかけるも簡単な会話も出来ず 起き上がれなかった
昨日の夜 一緒に車でお店から帰って来たのに…

出勤前の父はキッチンで 家の前で止まった救急車と上がり込んでくる救急隊から把握したと思う
担架にくくられ 2階から運ばれていく姿に 急に心細く怖くなった私は
泣きながら父に 一緒に来て欲しいと溢し 救急車に乗り込み 前日に救急外来でかかった病院へ
(前日は外科の先生だけで 母の受け答えもハッキリしていたから 脳の病気だとは分からなかった)
一人では この有り得ない急変事態が重すぎて 受け止めきれなかった

こんな事が起こらなければ 自分から父に声をかける事もなかったかもしれない
その場で頼れる人が 目の前の大嫌いな父しか居なかった それでも心の支えにした私の緊急事態
運ばれる車中も当直医を待つまでの間も 現状を軽視して余裕のある父の発言に
心の奥では許せないし反発したままだったけど 何故か冷静に対処し普通に言葉を交わせていた不思議

春分から 不安と悲しみと二度と会えなくなるかもしれない恐怖と戦う日が始まり
全身を預けて寄りかかれる人も居ない中 自分で自分を必死に支えて 意識のない母に話かけ続けた
24年前の同じ季節 4月14日
今の私と同じ 53歳で
心の準備も出来ないままの私の前から あっという間に消えてしまった

もう 何処からも母の声が聞こえない日常に 絶望だった

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