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【You Tube】ノーカントリー【原稿】

https://youtu.be/X0R8Q4D8ADU

https://youtu.be/Uh_pkoTZdf0


という事で今回は第80回アカデミー賞、作品賞受賞作品
ノーカントリーの小説版との比較、解説、ちょっと考察、といった事をやっていこうと思います

ただここで超巨大な問題が一つありまして、僕はこの映画、初めて見た時から「おもしれー」と思っていて
それからもう何回も見ている作品ではあるのですが
にも関わらず、この作品の内容について腑に落ちる解釈と言うのが未だに出ていません
完全に批評として失格って感じですが、まぁとはいえ一応自分でも腑に落ちてはいない解釈はありますし
もしかしたらこの解釈で正解の可能性もありますので、まずその説明からしていこうかと思います

この映画、早い話、立ち向かいエンドなのでは無いのかな?と個人的には思っているんですね
映画見ていると結構この立ち向かいエンドというのはお目にかかる機会がある訳で
有名ドコロだとハスラー2、ビートたけしのキッズ・リターン、あと、君はいい子、イカとクジラとかでしょうか
現実を直視してこなかった主人公が、最後の最後に、勝てるかどうかはともかくとして、
現実に立ち向かう事を決めて終わる、というタイプのエンディングですね

まずこの作品はノーカントリーフォーオールドマン、ようは「老人の住む国じゃねぇよ」という意味な訳ですが
主人公のトミー・リー・ジョーンズはのっけから「この国は何がどうなってんだよ」と現実否認から入ります
とにかく若者の堕落が半端じゃねぇと。手に負えねぇよ。俺にどうしろってんだよ、という訳なのですが
こんなのはまだいい方で、ある日「手に負えねぇよ。俺にどうしろってんだよ」の集大成のような
アントン・シガーという男が彼の前に現れます。映画を見た方はご存知でしょうが、彼は正真正銘の怪物です

主人公はある事件の調査をきっかけに、ルウェリン・モスという男の後を追う事で
同じく彼を追っているアントン・シガーと間接的に戦う事になる訳ですが
残念ながらこの戦いに完全敗北を喫し、ついには保安官を引退する事になります

しかし引退した直後に、まるで天の啓示であるかのように夢を見ます。
それは自分と同じ、保安官だった父親の夢だった、というんですね
一つ目はある街で親父に金を貰ったのにそれを無くした夢
お金っていうのは大事なもの、と言い換える事が出来るのかもしれません。
尊敬する父親から貰い、なくしたものとは、つまりどんな困難にも立ち向かう気概、という事なのかと推察される訳ですが

問題は二つ目です
二つ目は親父と馬で歩いているんだが、親父はずんずん先に行ってしまったが
親父は先にいって、火を焚いて自分を待っている。その事を俺は知っている。自分の行く先に親父が待っているんだ
そこで目が醒めた、という訳ですが、これは主人公のトミー・リー・ジョーンズが眠りから覚めた、という意味と
もう一つ、自分の中にあった迷いのようなものが醒め、自分がやるべき事がようやく分かった
という意味での目醒め、という二重構造、二重の意味での目覚めと考える事が出来るな、と思う訳です

トミー・リー・ジョーンズはその夢を見た後に
理解不能な現実、その権化であるアントン・シガーと対決する事を決意する。
そしてそれがどのような結末を迎えようと、その先に、親父は待っているんだ、と

とまぁコレが僕の腑に落ちていない解釈だった訳ですね。別に悪い解釈じゃないとは思うんですが
個人的にはもう一翻二翻乗せたいなぁ…というような感じだったりします。あってる可能性もあるとは思うんですが

で、まぁ今回、小説を読んだ訳で、僕が欲していた一翻二翻が、これによって乗るんじゃないかと期待したんですが
ハッキリいって余計分からなくなってしまいました。やりやがったなコーマック・マッカーシー、と。
まぁ映画は原作有りきな訳で、本当にやったのはコーエン兄弟なんですけど、いずれにせよ困った事になったぞ…と

まず何が一番困ったかというと、最後の父親の夢、これの解釈ってのが非常に重要なのは言わずもがなでしょう
実際小説版の終わり方も全く同じで、「そこで目が醒めた」で終わっているんですが
その前に、この父親、映画版は主人公と同じく保安官だった訳なんですが
小説版は保安官でも何でも無い、ただの落ちこぼれみたいな感じなんですね、大学も中退した、みたいな感じで
となるとここのラストの解釈ってのは結構180°違ってきちゃう、みたいな話になるんですよね
親父が寒いところで待ってる。そして俺もいずれそこに行く事になる、って
ようは保安官引退して、このまま俺は現実を受け入れられず、死んでいく事になるんだ。
「まったくこの国は本当に老人には住みにくいぜ!」みたいなね。
もう完全に下に向かって、どうする事も出来ず、現実に敗北し、親父と同じ道を辿る事になるんだ、みたいな
なんかそう読めちゃう感じなんですよね
まぁ実際にそういう題名の本な訳で、それで駄目って事は無いんでしょうけど
映画の足りないところを補完してくれる事を期待していた身としては、かなり残念でした

ではここからは作品の時系列に沿って比較、解説をしていこうかと思いますが
まず最初のこの語りってのが、一体いつ喋っているのか問題っていうのがあって、映画版はちょっと分からず
解釈の幅がある感じなんですけど、小説版だと下手すれば引退後の話のようにも読めるんですね
俺はそれをやるつもりはない、今こうして考えてみても絶対にやらないだろう、と。
だから小説版ってのは本当にそういう事なんだと思いますね

とはいえそこ以外、物語の序盤はかなり原作と映画版に大きな違いは無い感じなんですね
後半になるにつれて徐々に映画に無かったシーンが出てきますが、中盤くらいまでは本当に内容はほぼ一緒です
大きい違いは章の一番最初に「理解出来ねぇ理解出来ねぇ」という語りが必ず入る感じで
まぁここが結構面白い、というか、映画版と殆ど変わらないので
そこくらいしか真剣に読むような場所が無い感じだったりします

で、僕がこの小説を読む前に個人的に一番楽しみにしていたのがカーソン・ウェルズというこの男
こいつはいい感じにカッコつけて出てきたと思ったら
一瞬でシガーに殺されてしまう訳で、「こいつ何だったの?」と思った人は僕以外にも沢山いるんじゃないでしょうか

そんな彼の活躍の場が実は結構あるんじゃないのかと期待していたのですが
正直、全然そんな事は無かったですね、出てきたと思ったらやっぱりすぐさま殺されます
ただ一箇所違いがあって、このウェルズという男がシガーの持っている発振器の罠を張ろうとした、という描写があって
シガーとしては「こんなのどう考えても罠だろ」って事でウェルズの裏を書いて背中を取る事に成功する訳なんですが
この描写は映画でカットされている通り、必要無かったかな、と思いますね
映画のウェルズでも「お前何しに来たんだ?」といった感じの小物感が出てしまっていましたが
小説版は子供だましのような罠張って、それの裏をかかれて殺される、という輪をかけて悲惨な感じになってしまっています

で、ここでちょっと考察を挟むと、この話のテーマの一つに
「お前が決めたルールでお前が死ぬならお前のルールってなんなんだ?」っていう話があると思うんですね
例えばこのシーン。一見意味不明なシーンですが、このシーンでこのおっさんは
シガーの中にあるルールに抵触している、という事なんだと思うんですね。
何を言ってるのか分かってるのか?ってのはそういう意味なんじゃないのかと思います。
俺のルールに抵触した以上、お前は殺されなくちゃならないんだぜ?っていう

で、ここでウェルズは自分のルールに従って、シガーを倒そうと思って、シガーのルールに敗れた
シガーのルールというのは我々には全く意味不明な部分がある訳ですが
我々にとっては理に適っていない行動も、シガーからすれば明確なルールがあって、それに従っているのでしょう
お前はずっと賭けて来たんだ、というのは「お前はお前のルールに従って生きてきただろ?」という意味であり
それがシガーの絶対的な行動原理であり、彼は彼のルールを機会的というか
むしろ昆虫的といっていいレベルで遵守するのではないかと思いますね

「目で引き伸ばせると思っている」コレが愚かなお前のルールなんだろ?と

話しを戻しますが、ウェルズが死んでからもまた結構ずっと同じ描写が続き
違いが出てくるのはかなり終盤からですね
ウェルズか殺されてモスはせっせと遠くに逃げようとする訳なんですが
ここでモスは気まぐれにヒッチハイカーの女の子を拾います。

映画だとビールに誘った女の人が突然殺されて気の毒にって感じでしたが
小説版は17歳の家出少女で、映画よりずっと悲惨になってますね。彼女はカリフォルニアに行って
自分の人生をやり直す事を願っていて、モスは「ふーん頑張れよ」って感じで1000ドルくらい渡したりして
まぁ仲良さそうにやっている訳ですが、二人共追ってきたメキシコ人に撃ち殺されてしまいます

というかこのルウェリン・モスという人はなんか無駄にいい人なんですよね。
そもそも水を持ってってやろうとしなければこんな事に巻き込まれませんでしたし
ヒッチハイカーを善意で拾わなければこの女の子も死なずに済みました
あとどうでもいいですけど、このお母さんによろしく言っといてくれ、というセリフもちょっと意味不明でしたが
モスと奥さんのお母さんが仲が良くないのは見りゃ分かる訳ですが、
このセリフは仲良くないけど俺はそんなに嫌いだった訳じゃなかったんだぜ、という意味だったりするんですね
それを奥さんは理解出来ず「あなたのお母さん死んでるわよ?」と言われる、というシーンで
モスというキャラクターは良かれと思ってやった行動が尽く裏目に出る、といったキャラクターになってました

そしてこの辺りから小説にしか無いシーンが出てくるようになります
映画版はモスの金はメキシコ人がかっさらっていったようにも見えますし
メキシコ人は見つける事が出来ずにシガーが見つけて回収したのかな?という風にも見えるんですが
小説版では、流石のアントン・シガー。きっちり金を回収し、金を持ち主に持っていきます
あなたと取り引きしたいんですよね、と話しを持ちかけますが
この場面は組織のボスが貸し金庫がどうとかと口を滑らせたシーンだと思うので、この組織も多分皆殺しになっているのでしょう

そしてモス婦人を殺害して帰り道で事故に合うシーン。
ここは映画版では「青信号を信用したシガーが、自分のルールに裁かれるシーン」となっていたと思いますが
小説版のシガーは「こんな事もあろうかと俺はシートベルトをしないんだ」といった感じで
彼はまたルールによって自分を守る事に成功した、という描写になっています
とにかく彼のルールは我々常人には理解出来ないが、とにかくそれによってシガーはプロテクトされているって訳ですね
映画と同様、シガーの登場シーンはこれで終わりになります

そしてラスト、主人公のトミー・リー・ジョーンズの話になります。映画にもある、叔父さんとの会話シーンですが
ここで主人公は自分が今まで黙ってきた秘密というのを叔父さんに打ち明ける事になります。
自分は戦争に行き、そこで勲章を貰って、国の英雄として帰国し、そして保安官としての地位を築いたが
実は戦争のこの勲章というのは虚偽によって与えられたものであって、自分は英雄でも何でも無いんだ、と
皆自分の事を昔気質の保安官だと言いますが、自分は昔気質の、そんな人間ではなく
戦場で、まだ生きているか生きていないか分からない戦友たちを見殺しにして逃げるような男なのだ
昔の人達が「ありえない、理解出来ない」と言うであろう、そういう人間なのだ、
俺は再三再四、「今の若者は理解出来ない」などと言うが、自分だって同じなんだ、奴等と大差無いんだ、と打ち明けます

なかなか絶望的な話です。正直どう思えばいいのか全く分からない話ですよね
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映画版のエンディングを僕は立ち向かいエンドだと解釈しましたけど
ここを読む限り、小説版は完全にギブアップしてますよね。もう無理だ。手に負えないよ、と
完全にノーカントリーフォーオールドマンだよ。という感じですね

ただ最初に言った通り、僕もこの解釈に心底納得しているという訳でも無かったりするので
小説版もちゃんと面白いので自分なりの、自分の腑に落ちる解釈を探すために読んで見るというのも
悪くないのではないでしょうか?血と暴力の国、僕は楽しく読めましたし、オススメです。

という事で今回はこの辺で。ありがとうございました。 

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