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心も体も限界だった―動物看護師がバーンアウトを超えて学んだこと

私はどんな状況にも耐えられるほど心身ともにタフだと思っていた。だけどそんな私でも、バーンアウトを経験したことがある。それは、緊急動物病院での動物看護師として働いていた時のことだ。

退職してからの3ヶ月間、私は誰とも会わず、仕事も探さず、ただ簡単な家事とペットの世話をして日々を過ごしていた。ようやく少し前向きに考えられるようになった頃、動物看護師として働いていたときに抱えていた心の葛藤と向き合うことができた。

私は元々、視野が広い方だと思う。だからこそ、いろんな立場の人々の気持ちが痛いほどわかり、理想と現実のギャップに苦しむ飼い主や、治療の限界に直面する獣医の姿を見続けるうちに、心が混乱してしまったのだと思う。

それでも、この経験が誰かの役に立つのではないかと、葛藤や迷いを抱える飼い主に向けて、少しずつ私の気づきをシェアしていきたいと思う。興味がある方は、ぜひお付き合いいただけると嬉しい。ただし、あくまでも個人の限定的な経験に基づく、個人的な見解であることをご理解いただきたい。


ペットが体調を崩したときに気づく現実

ペットが体調を崩したとき、当たり前だけれど見落としがちな現実に気づかされることがある。

ペットたちは人間のように、学業や仕事といったライフイベントを経験せず、同じものを食べ、日中は寝て過ごす、シンプルな日々。そのため、ペットとの生活には、癒しや楽しさといった穏やかなイメージを持ちがちだ。

しかし、一度ペットが体調を崩すと、状況は一変する。突然、これまでシンプルだったお世話が複雑化し、膨大な情報や治療方針の選択、費用の負担に直面することになる。人間と比べて、同じかそれ以上に、手間も費用もかかる。楽しいだけではない『ペットと生きる現実』に向き合う覚悟が必要になるのだ。


人間と動物の生体の違い

人間と動物では、生体構造や医療の限界が大きく異なる。その違いを心に留めておくことで、動物と暮らす私たちは命への向き合い方を見直すことができると思う。

まず、人間と動物の生体・平均寿命には大きな違いがある。

  • 人間: 平均寿命は約80年。体が大きく、手術や全身麻酔にも耐えうる体力がある。また多くの場合、子を育てたあと、親は子に見送られる立場となるから、子には親を見送る心の準備をする期間が自然と生まれる。

  • 動物: 体が小さいため全身麻酔のリスクが高い。また、平均寿命は約10~18年と短く、たとえ手術が成功しても、予後が短い場合が多い。こうした違いにより、飼い主が心の準備をする期間が十分にないことがよくあると思う。

ペットを見送る際、飼い主は「もっと一緒にいたかった」「もっと何かできたのでは」と感じることが多い。その思いが諦めのつかなさに繋がっているのかもしれない。しかし、そもそも生き物すべてに限りある命がある中で、医療は単に、その時間を少しでも豊かにする手助けをするものだ。人間には、より良い医療や長寿を求めるエゴがあるが、動物もそれを望んでいるとは限らない。私たちはその違いを尊重しながら、命と向き合うべきだと感じるようになった。


話をすることができない動物

投薬や手術を決断した時、動物たちにその理由を説明できず、同意を取れないことが心に痛みをもたらす原因の一つだ。お気に入りのフードから処方食に変えた時や、ひとりぼっちで入院させなければならない時、狭いケネルから見上げてくるペットの視線に後ろ髪をひかれる思いで病院を後にする飼い主を見送る瞬間。あるいは、無理やり口を開かせて投薬する際に、まるで拷問をしているような気持ちになることもあった。

ストレスを感じているペットの姿を見ると、自分の選択が本当に正しいのか、わからなくなることがある。それでも、「自分のペットには奇跡が起きるかもしれない」「もう少し一緒にいたい」と願うのが飼い主の心情だ。そして、動物看護師としてそのお世話をする私自身も、期待し、絶望する日々を繰り返してきた。

しかし絶望する日々の中でも、患者が見せる小さな回復の兆しや、高齢でも懸命に生きようとする姿に触れると、私たちの選択に少しだけ希望を感じることがあった。動物たちは言葉を持たない分、行動や表情で何かを伝えている。そのメッセージをどう受け止め、応えていくべきか、私はいつも考えるようになった。


飼い主の獣医に対する期待

ペットの体調が少し優れないように見えると、まずはネットで情報を調べ、本当に今病院に連れて行くべきなのかを考える。そしてできれば病院に行かずに済むことを願う飼い主は、きっと私だけではないはずだ。これは、ペットの健康状態を正確に判断する難しさや、動物医療が人間のように保険で手軽に受けられない現実、さらに動物病院が常に混んでいて予約が取りづらいなど、さまざまな事情が絡んでいるからだろう。

意を決して病院で検査を受けても、「対処療法として薬を出されるだけ」という結果に終わることもある。原因がはっきりしないままだと、飼い主は不安を感じる。人間が病気になったとき、感染源が特定できなくても気にならないことが多いが、ペットの場合はそうはいかない。原因を知りたい、再発を防ぎたいと思う気持ちが強くなるためだ。しかし獣医の説明が期待通りでなかったとき、そのもどかしさが「モヤッとした感覚」として心に残る。

さらに、専門病院での再検査を勧められた場合、飼い主は再び葛藤に直面する。費用や時間を考え、「ここまでする必要があるのだろうか?」と悩みつつも、「万が一のことを考えると従った方がいいかもしれない」という思いに駆られる。そうした一連の流れの中で、獣医に全面的に頼らざるを得ない一方で、「獣医は神様ではない」という現実を突きつけられるのだ。

結局、飼い主としてペットにできることには限りがある。それでも、ペットの健康について積極的に学び、獣医と良い関係を築くことで、不安や葛藤を少しでも軽くするしかないのだろう。


もちろん医療費の問題も

ペット医療には、人間の医療のような社会保険制度が整備されていない。そのため、飼い主自身が任意で保険に加入する必要があるが、加入率は決して高くない。保険に入らずに病院に行った場合、血液検査で2〜3万円、レントゲンで5万円、治療薬1万円、手術は数十万円といった費用が発生する。さらに手術後には薬代もかかるため、その負担は大きなものだ。

保険があれば、加入後に発生した症状に対しては8〜9割の費用がカバーされるが、定期検診や予防接種は対象外のことが多く、若く健康なペットには「もったいない」と感じて加入を見送る飼い主も少なくないと思う。

しかし、ペットの健康は予測不可能だ。例えば、子供のおもちゃを誤飲したり、道端に落ちた薬を食べたり、近所の犬に噛まれたりと、思いがけない事態は誰にでも起こり得る。そして緊急病院で治療を受けた後、数十万円の請求を受けて初めて、その負担の重さに気づくこともある。時には、治療費を払うまではこれ以上の治療は開始できないと言われ、やむなくその場でローンを組んだり、上限一杯にクレジッドカード切ったりしなければならない飼い主を見てきた。また、治療費をディスカウントするよう食い下がる飼い主もいれば、何も治療をしないまま、体調不良のペットを腕に抱えて帰宅する飼い主もいた。

そのような状況で、飼い主は獣医や病院のシステムに不満を抱くかもしれない。一方で、獣医側も高額な治療費に対する飼い主の不満や治療の拒否に苦慮する。保険に加入していなかった自分を責めたくなる飼い主もいるかも知れないし、雇われ獣医だったら、高額な治療費を設定している病院サイドを責めたくなる場合もあるだろう。

このような「誰かを責めたくなる」感情は、現行のシステムが抱える問題の一部だ。飼い主としてできることは、保険や貯蓄を通じてペット医療に備えること、ペットの健康状態に注意を払い早期発見を心がけること、そして信頼できる獣医との関係を築き、不測の事態に備えることだろう。


動物看護師として

動物看護師としての資格勉強をしていた時、たくさんの命を救うことができる(実際に手を施すのは獣医だが)、と期待に胸を膨らませていたが、経験を積めば積むほど、どんどんと心の葛藤にのまれ、自信がなくなってしまった。

医療の限界や医療費の問題など、変えられないものを嘆いても仕方ない。では私はこれから、どうやって動物看護師として働いていったらいいだろう。

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緊急動物看護師として仕事をしていく中で、正解のない状況に直面することは避けられない。たとえば、心肺停止で担ぎ込まれたペットに蘇生措置を行うべきかどうか。飼い主の「助けてほしい」という叫びに応えるため、獣医の指示に従うべきことは理解していたが、それでも、治療費や予後の見通し、他の重症患者のケアを考えると、自分の手が止まってしまったことがあった。

しかし、そんな自分の迷いがチームに影響を与えたとき、先輩からの叱責を受けた。
「飼い主が心配蘇生をやめていい、というまで、獣医は心配蘇生をやめる指示を出さない」「獣医が心配蘇生をするよう指示をしたら、動物看護師は心配蘇生をする」それが鉄則。要は、つべこべ考えず、動けと。

その時にはすぐに納得できなかったが、今の私が辿り着いた答えは、こうだ。
私の仕事は、いろんな立場の人の思いを考慮し場面に応じた最善策に想いを巡らせることや、自分の感情を優先することではなく、獣医の右腕として職務を全うすることだということだ。飼い主から相談を受けたときには、自分の考えを正直に伝えてもよいが、そうでなければ、考えずに手を動かす。
こんなこと、動物看護師のテキストの一番最初に書かれていた超基本的な常識だが、もしかしたら、私のような葛藤を抱える動物看護師は少なくなく、現場での葛藤や混乱を防ぐための、対策文なのかもしれない。

獣医は、自分の職務を全うし(診断・治療の提案)、動物看護師も、自分の職務を全うし(獣医に従う)、そして飼い主も、自分の責任を全うする(決断する)。

医療現場で働くすべての人が、それぞれの責任と職務に向き合い続け、そして飼い主も、最終的な意思決定は自分でするのだと覚悟をすることが、後悔しない選択を可能にするのだと思った。

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次回は、延命治療と安楽死について、書きたいと思います。


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