特スキの報告+ざっくり日本語学コラム【コーヒーチケットをひとつ。】
特スキ報告
こんにちは。
ななくさつゆりです。
今週のご報告!
毎週火曜日にお届けしている『コーヒーチケットをひとつ。』から、『ステインときどき近代文学の「歯」』が特スキ(特にスキを集めた記事)に選ばれてました。
ありがとうございます。
🎉
さて、今回は「歯」を切り口に、文学作品で触れられた歯の印象について実際の文章を引用しながらお話ししました。
ざっくり日本語学コラムや文学のハイライトと領域が重なるような内容になりましたが、意外とほどよくまとまってくれたと、読み返して思った次第です。
きっかけは、noteで「歯の健康」についてのお題があがっていたからですが、こういうお題に乗っかることで、普段自分がなかなか触れないところも一緒に調べられたので、いい機会だったかなと。
🎉
ちなみに先日、連続投稿週が50週に達しました。
こうして書きつづけていられるのは読んでくださる皆さまのおかげです。
ぜひ今後とも、どうぞお付き合いくださいませ。
それはそれとして。
先週も言った気がしますが、エッセイ的なゆるい文章の書き下ろしをつづけていると、本来の自分の小説の方の文章力に影響が出やしないかとヒヤヒヤする最近。
文章にもバランス感覚があるのなら、それに気を配りながら書いていきたいところです。
ざっくり日本語学コラム #5
ざっくり日本語学コラム~🎉🎉🎉
毎週水曜日のコラム。
今回は日本語の歴史を遡った先には沼があったのお話です。
「なにそれ?」と思われた方は、ぜひ読んでみてください。
私はnoteで毎週日曜に、『にちようびの音。』というショートエッセイを掲載しています。
好きな歌や楽曲について語る、動画URLつきのnoteです。
にちようびの朝を好きな音楽とともに過ごしたい、というコンセプトでお届けする週刊ショートエッセイ。
そこでたしか、CMソングが好きという話をしたんですよね。
CMで曲と出会うという話で、池田綾子さんの歌声が好き、みたいな。
当時……高校生くらいだったかな?
JR九州のCMでよく見かけた、池田綾子さんの歌x列車のCMという組み合わせがとても洒脱で心地がよく、池田綾子さんの丁寧に伸びて行く高音の歌声がすごく好きになりました。
CMには別途、シブイイ声の男性のナレーションがついていたのですが、冒頭のフレーズが妙に印象に残っていて、今も克明に脳内で再生できます。
再生できるというか、CMを録画して動画ファイルにして、いつでも視聴できるようにしています。
その冒頭のナレーションは、JR九州らしく九州の土地に馴染む話題からはじまるのでした。
たしか、こんなフレーズ。
からの、池田綾子さんの歌がとても刺さるのですね~。
……で、ここはざっくり日本語学コラムなんですが、この話がどう日本語学につながってくるのでしょうか。
先日、このCMをBGMにしながら朝読書を楽しんでいたとき、ふと思ったんです。
日本語を、物語の文章表現を最初から学ぼうと思ったら、「最初」って、どこ?
📚
日本語についてもっと知りたい、調べたいと思ったら、選択肢のひとつとして「日本語の成り立ちから理解する」というアイデアが出てくることもありますよね。
過去を遡り、日本語の理解を深め、時代をあゆむようにして日本語の変化や変遷の学習を進めて行けば、いつか体系だった知識を習得できそう。
そんな気がしますね。
ならば、遡って遡って、行きつくところまで行ってみるのも一興です。
でも、現在の日本語学習において、ひたすら遡ってたどりつくところって、どこなんでしょう。
クイズです。
日本語の歴史を調べていて突き当たる、もっとも古い時代は何時代で、作品はいったい何でしょうか。
いつの時代?
どんなことば?
どんな文学作品?
カンの良い方は、すでにピンときていることでしょう。
正解は奈良時代で、万葉集です。
というより、この時代は史料が万葉集に偏っている、という指摘があるかもしれませんね。
📚
余談ですが、私はかつて余情にまつわる文章表現をとことん遡ってやろうと思い、塙書房の『余意と余情』という本に手を出しました。
今も勉強しており、大変ためになる本なのですけれども、半分くらいが和歌の分析に費やされていて、「日本語の文章表現を遡ると和歌の話になるんだなァ」ビックリした経験があります。
(読書ステップ指数がとてつもなく高い。スイミーが★2つ、私の文章が★3つとしたら★8つはある)
日本語歴史コーパスでも、時代区分としては奈良時代の万葉集がいちばん古いのかな。
万葉集で使われている助詞についてなども、日本語歴史コーパスで調べることができますね。
これはこれで有用です。
📚
が、私がざっと触れた感想として、文章表現を調べるために奈良時代までさかのぼってしまうと、沼にはまります。
というか私ははまりました。
なんなら今も沼から足が抜け出てません。
この時代のことばって、すごい複雑というか、むずかしいというか。
なぜって、奈良時代のころともなれば、日本にはまだ平仮名・片仮名がないのです。
この時代の文献はすべて漢字で書き記されています。
万葉集もすべて漢字です。
そこに、それらしい読み(訓)を当てていきながら理解していく流れになるのですが、これはもう文章表現を深掘りするというより、異国の文字を解読しているような感じに近くなります。
これはこれで楽しいんですが。
📚
いちおう、日本語学コラムっぽく、漢字と日本語読みの関係について整理しておきます。
用字法といって、言語の表記において文字の使い方を示すルールがあるのですが、万葉集における漢字の用字法は、「訓を利用する」、「中国語の発音に基づく漢字音を利用する」、「表語か表音かに基づく」などいくつかのルールが都度用いられます。
漢字音とは、たとえば「山」という字形に対する「サン」という字音です。
「山」には「高く盛り上がった地形」という意義が備わっており、和語でこの意義をもつことばは「やま」であることから、「山」に「やま」を当てることで、「山」の訓読みが成り立ちます。
これを正訓といいます。
表語、表音のそれぞれ指すところはややこしいので今回は省きます。
機会があれば別のところで詳しくやります。
つまり、万葉集のことばを理解するにあたり、表記としての漢字に、意味として訓が結びつけられたのですが、この漢字と訓の結びつきがもう、とてもゆるやかでゆるやかで。
これが沼にさらなるぬかるみを持たせています。
たとえば、「乱」ということばがあれば、現代では「みだれる」という読みになりますが、万葉集では「みだる・さわく・さやぐ・まがふ」といったあらゆる読みが出てくる可能性があります。
また、義訓というものがあり、「暖」を「はる」、「金」を「あき(秋)」とよむような読みの連想ゲームがはじまります。
これらは意味と和語が直接結びつくのではなく、連想でそれっぽい読みがあたっているというケースです。
さらに、意義とは無関係な表記をした、現代でいう当て字的なものも多いです。
「山」を「夜麻」「夜万」「也麻」と書く、とかね。
いやァ、黎明期のカオスというか、考察する前段階の整理ですでに大変、万葉集。
📚
さて、ここまで万葉集は沼だよという話をしました。
日本語の歴史を遡った先には沼があったんですねぇ。
ぶち当たるまで考えもしませんでした。
文章表現を遡ろうとして、遡りすぎたってオチでございます。
さて。
だとしたら、物語的な文章表現を過去の作品から学ぶにあたり、どこまで遡ってみるのがイイんでしょう。
諸説あるとは思いますが、私は『竹取物語』かなと思います。
現存する最古の物語というのは伊達ではなく、地の文と会話文の概念が存在していますし。
それとも、奈良時代が沼なら、平安時代くらいからいっとく?
それもとアリだと思います。
が、奈良の沼を抜けた先には、「をかし」と「あはれ」の双璧が私たちを待ち受けているのでした。
📚
さて、今回のざっくり日本語コラムは以上です。
結局、なんの話をしたんだろう。
日本語の歴史について話そうと思っていたのですが、黎明期のカオスを話し込んでしまいました。
今後も、小説やエッセイに加え、こんな風にさらりとした文章表現こぼれ話も、お届けしてまいります。
読書玄人の方も、普段は読書なんてあまりしないという方にも。
皆さまに晴れやかな読書体験を。
以上、ほぼ日記のような、ざっくり日本語学コラムでした。
ぜひ、スキやフォローや拡散をお願いいたします。
今日もよい一日を。
ななくさつゆり