エッセイ 海雲台のコンビニ前でマッコリをぐるぐる振った話。(後編)
寒風、そらで白む息。
2016年。韓国、十一月の夜。
仕事で釜山入りしていた私は、担当していたイベントの対応を終え、通訳のユンくんが打ち上げにと手配してくれた焼肉屋を出た。
先ほどまで、暖房が効いていた個室で賑々しくやっていただけに、店先で触れた釜山の夜風は、肌にいっそう冷たく冴えたものに感じる。
店先で、釜山側の担当者にあらためてお礼を伝えてお見送り……もちろん日本語で。ユンくんが訳してくれる……先方が地下鉄駅の方に向かうのを見届けてから、お互い労をねぎらいあった。
「盛り上がりましたね」
「盛り上がりましたねぇ」
なんて、気の抜けた会話を交わす。吐く息が白んでいた。
急に冷めた風に触れ、鼻は赤くなってないだろうかと、ふと気にかかる。
この焼き肉会の話は、また別のところで語ろう。
🌃
寒空の下で、ユンくんが缶バッチだらけのリュックを背負い、腕時計をちらちらと確認していた。
「僕は終電があるんですが、皆さんの宿泊先は近いですよね」
アニメのロゴをあしらったマフラーが風にゆるくなびいている。
兵役上がりたてホヤホヤの男子なのだけど、彼にはそれを思わせない物腰の柔らかさがあった。
「まァ、目の前だし?」
近いも何も、やけに目立つ通りに鎮座していたのだから、見間違えようもない。
ホテルの出入口を見ると、自動ドアが開いたり閉じたりと忙しない。
何気なく周囲を見渡し、当然ながらどこもハングル一色だなと思っていると、
「次、どうしましょっか」
と、わざわざ確認を入れてくれた。
すると、
「コンビニに寄れます?」
と、今回一緒に釜山入りしていたデザイナーのアヤさんが、口の前で手のひらを合わせて尋ねてくる。
「コンビニ?」
「そそそ」
日本か? とツッコミを入れようとしたが、
「ああ、かっぱえびせん、ありますよ」
と、ユンくんが言ったので、さっそく向かうことになった。
コンビニという言い方が正しかったのかは今でも曖昧なまま。
とりあえずその時は、コンビニ、コンビニと言いながら海雲台ビーチにつづく通りを皆で歩いた。
🌃
いざ店内に入ると、作りといい、品ぞろえといい、コンビニと言って差し支えのない印象だった。
蛍光灯の昼白色が夜目にちらついて、やけに明るく感じる。
入ってすぐ、
「なんだか、日本のよりも静か?」と勘繰っているとユンくんが、
「この店、歌とか宣伝とか、流れてませんからね」
と、言い添えた。
「ああ、なるほど」
菓子棚でアヤさんが、
「ホントにかっぱえびせんあるじゃん」
と、笑う。ハングルのロゴが印刷されたかっぱえびせんと一緒に、緑のペットボトルを何本かカゴに入れ、軽快に会計へと向かった。
ぱっと見て、ミネラルウォーターか何がしかのジュースを買いこんでいるのだと思った。
しかしアヤさんは、
「韓国にきたんだから、コレでしょ」
と、会計を済ませ、緑色のペットボトルを楽しそうに振りながらお店を出る。
「何かのジュースですか?」
「いやいや」
とアヤさんはもういちど笑い、
「生マッコリ」
と言って、店先にあったテーブルにそれを置き、椅子に座り込んだ。
「つめた」
「でしょうね」
なにせ、もう夜も十一時をまわっている。
私は耳慣れないフレーズを反芻して尋ね返した。
「生……マッコリ?」
「え、知らん?」
「もしかして、アレですか。お酒の……」
「そっそ。美味しいやつ」
「へぇ……」
まだ飲む気なのか。
それはそれとして、ペットボトルにお酒を詰めて売っているというに事自体に驚く。
からっ風と微炭酸。
もともとは、海雲台の観光客用に備え付けられていたものだろうか。
コンビニの前にはシンプルなつくりのパラソルが数本立っており、その下にテーブルが二台接着する形で設置されていた。
自分たちがいる場所は、海雲台ビーチに近い。
夏の晴れやかな頃合いであれば、日差しを浴びながら海を眺めるのには絶好のポジションだったに違いない。
が、重ね重ねで恐縮ながら、今回は十一月の夜。
当然座る者は誰もおらず、寒いので休憩のために近寄られるなんてこともなく、ただただ、その時だけは、かっぱえびせんと生マッコリをいくつか抱えた酔っ払い若干名による、路上の二次会会場だった。
なお、パラソルの支柱とテーブルの脚は、ビニールテープでぐるぐる巻きにされている。
テーブルたちはその場に居付くことを宿命づけられたようにしっかりと固定されており、私たちの来訪を拒むことはできないようだ。
🌃
で、ようやくマッコリの話。
この時の私は、そもそもマッコリ自体を飲んだことがなかった。
ユンくんやアヤさん曰く、マッコリとは日本で多く流通する加熱処理されたものより、本場韓国でメジャーな生マッコリの方が、フレッシュでコクがあるものらしい。
糖化させた米や米麴等を発酵させたアルコール飲料で、色も白濁としているらしいとはアヤさんの言。
なぜか、緑のペットボトルをよく見かけると彼女は言う。
アヤさんの手は、その緑のペットボトルを握ったまま、ボトルをゆるく振りつづけていた。
「じゃあ、甘酒的な?」
「あと、シュワっとしてるかな。乳酸菌とかいるらしいよ」
「そのペットボトルに?」
「たぶん」
私の頭の中ではすでに、甘酒とヤクルトを混ぜて炭酸ガスを注いだ不思議なお酒、というイメージが整いつつある。
🌃
「ところでアヤさん。なんでずっと振ってるんですか」
「そういうものらしいし。ほら、上と下で分離してるから」
と言って、「じゃあ、はい」と私にボトルを手渡した。
「え、私が開けるの?」
「ゆっくーり、開けてみて」
「ゆっくり……?」
促され、いまいち勘所がつかめないまま、ペットボトルのキャップを握る。
が、回す前に、
「あの、生マッコリって、シュワっとするんですよね?」
「うん」
「それって炭酸ですか」
「そうやん?」
一瞬、耳の後ろにひやりとしたものが走った。
「……このまま開けたら、思いっきり吹き出しますよね」
「だからさ。ゆっくーり」
「いやいや。なんで振ってから渡すんですか」
「だって、開ける前に二十回ほど振ってよく混ぜましょうってネットに書いてたしさ」
「でも、振って開けたら吹き出しますよね?」
この時期のこの時間帯に冷めた酒を浴びるなんて、たまったものではない。
「運がよければ、イイ感じにいくんじゃない?」
天然のトラップかよ、この飲み物。
🌃
しばらく緑のボトルを睨んでいたものの、
「しゃーない……」
と肚を括り、キャップを開けようとしたら、ユンくんが止めに入った。
「そのままだと吹き出しますよ」
そりゃそうだ。
流れで私が正しい開け方を尋ねると、彼は別のボトルを手に取り、
「振るというより回す、みたいな感じですね」
と言って、キャップを握り、生マッコリのボトルをぶら下げるように持って、ぐるぐると反時計回りで回しはじめた。
私やアヤさんも別のボトルで真似をする。
「これを二十回?」
「だいたい」
「なんで二十回?」
「さぁ?」
回し終えたところで、今度はボトルの真ん中あたりを親指でへこませていた。
「ガスを抜かなきゃいけないんですよ。それで、真ん中あたりをヘコませたまま、キャップは本当にちょっと、ちょっと回すだけです。ガスが抜ける音を聞けたら、そのまま開けましょう」
海雲台の月明りが、コンビニそばの街灯の白光とまみえて明るい夜のこと。
兵役あがりの男子が慣れた手つきで生マッコリを捌く姿は、日本だとなかなか拝めないだろうなと思いながら、一部始終を眺めていた。
🌃
私たちも彼に倣い、「プシュッ」と音が鳴るのを確認して開栓する。
さっそく紙コップに注がれていたそれは、夜分の街灯の白いライトを浴びているせいか、白濁している印象はあまりない。炭酸のはじける音もあいまって、炭酸水が注がれているように感じられた。
近づけると、甘味と酸味を思わせるふくよかな香り。
口にすれば、
「これはいいね……」
と、つい言葉が出てしまうくらい、するりと飲めてしまう軽い味わいだった。
そして、イメージに割と近い味でもあった。
「甘酒にヤクルトを混ぜて、炭酸ガスを注いだ不思議なお酒……」
カルピスチューハイに、もう少し甘酒のような後味とコクを加えた感じだろうか。
ただ、白濁している印象は薄く、炭酸の舌で弾ける感じも手伝い、スッキリとした飲み物だった。
あっという間に空になってしまい、最初に開けようとしたボトルに手を伸ばすも、ユンくんが「ちょっと、ちょっと」と制止する。
「もうちょっと置いときましょう。あとで僕は開けますから」
仕方がないのでアヤさんに少し分けてもらいつつ、しばらくかっぱえびせんをつまむ。
ロゴがハングルなだけで、中身は食べ慣れたいつものかっぱえびせんだった。
🌃
コンビニそばの街灯の下で、かっぱえびせんと生マッコリを空にし、解散の流れになってその場を後にした。
なお、最後に残った一本は、最初にアヤさんが振っていた一本。
せっかくだったので、「持って帰ろうかな」と、ポツリとつぶやくも、
「ペットボトルですよ」
と、ユンくんが暗に飛行機には持ち込めないと言い、
「ここで飲んでいきましょうよ」
と言って、最後の一本を吹き出させることなくあざやかに開栓した。
解散の時間が何時だったのか、今となってははっきり思い出せない。
ただ、釜山の深夜の風の感触と、街灯のまばゆい白光に触れ、あの街の夜を包む空気感のようなものは鮮明に覚えている。
はじめての生マッコリの味とか、注いだときの軽やかな炭酸の音とか、そして皆で楽しく過ごしたひととき。
その時々の出来事に連なる様々な出会いは、私の記憶として瑞々しい潤いを保ったまま、今も自分の中に存在している。
🌃
ぱらりと、ページをめくる音が鳴った。
2024年、日本の自宅で、アヤさんたちがあの後に送ってくれた冊子をもう一度眺めている。
最後の方は、皆が映るプライベートの写真ばかり。
そこには、私の記憶を想起させるものばかりがちりばめてあって、じっくりと思い返すように、一ページ、また一ページとめくった。
結局、私はあの日以来、生マッコリに触れる機会に恵まれず今に至っている。
いつか、いつかまたと思いつつ、そのまま。
釜山のからっ風が吹く心地いい夜に、いつか。
もう一度触れるその日まで、あの日の記憶を内に抱いたまま、再度訪れるときを心待ちにしている。
了
異国の夜とあとがき
こんばんは。
ななくさつゆりです。
だいぶ長くなってしまいました。
中後編に分けたほうがよかったかな?
note記事の適切な長さや文字、行間にはいつも悩みます。
書いた通りなのですが、結局あのとき釜山で飲んで以来、生マッコリに触れる機会がないままです。
素直に美味しかったので、何本か買って持って帰ろうかなと思ったのですが、ペットボトルなので機内に持ち込めませんよね、と。
なので諦めてその場で楽しんだというお話でした。
あの時の釜山は、私としても異国情緒をふんだんに感じられた貴重な経験でした。
ビーチに続く大通りの脇で飲んでいたので、それはもう寒かったはずですが、不思議と寒いという記憶はありません。
まァ、酔っていただけかもしれませんね。
今回もお読みいただきありがとうございます。
ぜひスキや拡散をお願いいたします。
今、あの開け方できるかなァ。
ななくさつゆり
『コーヒーチケットをひとつ。』について
『コーヒーチケットをひとつ。』は、日々の情景に飲み物を添えたショートエッセイのあつまりです。
砂糖を溶かす間にさらりと読めるような、そんなお話を書いていきます。
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今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
よい一日を。
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