「自然栽培でお茶を作る」仙霊茶③茶刈と手摘みで思ったこと
前回の茶刈り体験の感想はこちら。
日本のお茶の収穫には、手摘みから茶鋏、茶刈り機と歴史的な変遷だけでなく、今でも時と場合によって柔軟に使い分けがされている。
ちなみに、ここ仙霊茶では二人で操作する可搬型茶刈り機を使用した「お茶刈り」作業がメインだった。
他の産地では大型の乗用型茶刈り機を使用している茶園もあるそうだ。
九州の鹿児島など比較的新しく初めから整備された茶畑が多い産地では、広大で平坦な場所であれば、大型の乗用型茶刈り機で収穫できるので、より人件費も抑えつつ効率的に大量に収穫が出来る。
しかし、ここ仙霊茶は山合いにある茶畑。
勾配もあり、また茶畝ごとに木の背丈や横幅にも個性がある。
畝間の幅も狭かったり凹凸も多い。
(イノシシが開けたらしい穴や飛び出た枝などに人間でも一瞬足を取られることがある)
そのような理由から大型の茶刈り機の導入は難しかったそうだ。
茶刈りと手摘み
さて、前回の続き。
「1日に3人で200㎏のお茶を収穫する」と聞いて、今一つピンとこないかもしれない。
詳しい製茶の工程は次回とするけれど、乾燥工程を経て荒茶になる頃には、水分量も生葉の4~5%にまで減り、全体重量も生葉の5分の1ほどになってしまうそうだ。
つまり、200㎏の生葉は40kの茶葉(荒茶はこの後、更に細かくふるい分けされて仕上げ茶になり商品化される)に変化する。
一旦ここで、私がスリランカでガイドさんや茶園のマネージャー達から見聞きしてきた手摘みの状況と参考までに比較してみよう。
スリランカで作られるお茶は、緑茶なども一部作っているものの圧倒的に紅茶が主流だ。
そして、イギリス人がプランテーション農園を開いた当時から現在に至るまで、ほぼ9割以上、茶葉の収穫は人の「手摘み」で行われている。
スリランカでは休憩を除き朝から夕方まで1日中、お茶摘みして一人当たり約15kg前後が現代では一般的と聞いた。
そして日給で約900Rs(スリランカルピー、2024年5月14日時点のレートで日本円で約470円)。
2000年代初め頃は、午前午後それぞれ10kgというノルマがあった時代もあったそうで、労働環境や人件費問題は現代のスリランカでも課題も一つだ。
ひとまず、一人当たり15kgとして、仮にもしここ仙霊茶の工場で一回製茶機を回すには、夕刻まで働いても13人以上はお茶摘みする人が必要になる。
しかもこの目安は、日々お茶摘みしているプロ中のプロのスピードである。
一度、手摘みでお茶摘み体験をしたことがある人ならば、分かると思うけれど、最適な茶葉を選びながら摘んでいくと数十g 摘むのも結構時間がかかるのだ。
なにせ小さな新芽だけを摘んでいくのだから、嵩も重量もうんと少ない。
これを製茶して乾燥させたら一体何杯分のお茶を淹れられるだろうか。
と初めて茶摘みした時には、私は愕然とした。
手摘みは孤独に作業したら途方もない作業なのだ。
と話がそれるので、スリランカの話はまた別途するとして、とにもかくにも。
「茶刈り機」でお茶を収穫することは、量で言えば驚異的な効率性なのだと感じていただけるかと思う。
もちろん「手摘み」の良さはある。
手摘みであれば、より状態の良い茶葉を選んで摘むことが出来るし、チャノキ全体のメンテナンスも兼ねている。
また葉の少し下の部分の茎を指先でカットして摘み取るので、茶葉自体にダメージを与えることが極力少ない。
(前回も書いたけれど、生葉は摘採した時点で、葉自体が持つ発酵酵素が働き、ゆるやかに酸化発酵が始まっている。なので千切れた状態の葉は細胞に傷がついている部分から酸化発酵が進む。)
けれど、もしこの広さを茶摘みピークシーズンにすべて手摘みで収穫しようとしたら、千手観音様みたいに手が必要なのだ。
日本の人件費では到底バランスが取れない。
手摘みだとものすごい高級なお茶になってしまって、目的が多くの人にお茶を知ってもらい楽しんでもらうことだったとしたら、それは出来なくなってしまい本末転倒になってしまうかもしれない。
実際、社長さんも「ボランティアなら、茶摘みだけでなく草引きもあるし、1000人来たってやることはある(笑)いずれは手摘みで作ったお茶も一部作ってみたい」とおっしゃっていた。
スリランカでも手摘みのお茶の良さの反面、人手不足や労働環境の厳しさも少なからず実際に行ってみて見聞きして感じてきた私にとって、世界各地で茶刈り機の選択的導入は、早かれ遅かれいずれやってくるような気がした。
かつて磯淵大先生の著書に、「世界の産地が日本のように茶刈り機を導入しないのは遅れていると当初思ったが、むしろ未来的なのかもしれないと思うようになった」というような内容を書いていらっしゃった。労働問題や茶樹の生育への影響、人が直接触れて一葉一葉摘む気配や安全性など色んな要素があるとおっしゃっていて、私も深く共感した。
その選択肢(つまり手摘みを維持した製茶方法)ももちろん残るかもしれないけれど、産地や茶園によっては今後さらに時代とともに変わってくるのかもしれない。
茶刈り機と手摘み。
前回も書いたけれど、茶刈り機を導入しても作業自体は体力を使い、ひとの熟練の技が良い茶葉を収穫することに必要なことは変わらない。
実際に茶刈り機で収穫した日本茶もおいしいお茶はおいしい。
そしておいしい和紅茶を作る茶園も増えている。
きっとこれは熟達した茶刈り技術や製茶技術があってこそなのだろう。
近代から現代まで日本では「茶刈り」で作るお茶と「手摘み」で作るお茶を上手く使い分けして作ってきている。
煎茶をはじめとする日本茶のように、紅茶の製茶でも収穫方法と製茶技術のバランスが実際のところどのように進歩しているのかは私はまだ勉強不足だ。
けれど、作る人が疲弊することなく無理せずに作ることが出来る状態で、それぞれの魅力を探って、消費者自身もそれを柔軟に受け入れ楽しんでいけたらと思った。だって、お茶は本来健やかな飲み物だから。作る人にも健やかでいてほしい。
もうすでにそういう動きは世界の茶業界で始まりつつあるのかもしれない。
今後は、スリランカだけでなく茶産業全体についても最新の情報にもアンテナを張りながら、視野を広げて学んでいこうと思うとてもいい機会となった。
なんだか今回は特にまとまらない文になってしまった。
私の中で一番揺れたポイントで、やはり実際両者の現場を見て体験してみて感じたことだった。
どちらが良い悪いの話ではない。
「ものごとの段階と適材適所」
「何をやるかより、つくる人のあかるい動機と工夫」
そんな言葉が頭の中に滞在中にずっと浮かんでいた。
拙くて躊躇ったけれど、今の正直な気持ちとして書いてみた。
色んな選択肢が広がる中で、自分の芯を持ちつつ柔軟に捉えたい。
そもそもお茶は自由度が高いところも魅力のひとつなのだから。
さて、この後は製茶へ。
紅茶と全く違う製法でこちらもとても興味深かった!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?