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小説の登場人物の心理をどう理解するのか(3)

前回は、文章中で用いられる語の辞書的意味を媒介として、文中に明示されない、登場人物の心理を推測する方法について書きました。

それに対して今回は、登場人物の置かれた状況や、行動の変化などから、文中に明示されない心理を推測する方法について考えていきたいと思います。題材とするのは、川上弘美の小説「水かまきり」です。

1. 登場人物の行動の変化を表現する文

まずは以下の一節を読んでみましょう。

⑴「そんな端を歩くと危ないぞ。」
 ケン坊がうしろから言った。川幅は、このあたりで少し広くなる。あと何キロか下ると海だ。河口から飛んできたカモメが向こう岸の工場の屋根にとまっている。ケン坊はわたしのみつあみの片方を軽く引っぱった。
「いたいよ。」とわたしが言うと、ケン坊はかすかに笑った。家に帰ってきてから、ケン坊はかすかにしか笑わなくなってしまった。昔はあんなにふわっと大きく笑ったのに。
「犬の紐がわりだ。」そう言いながら、ケン坊はもう一度みつあみを引っぱった。カモメが高く鳴いた。平たい石をひろって、わたしは水面に投げた。石は一つだけ水を切って飛び、すぐに沈んだ。
「少し、できるようになったな。」言いながら、ケン坊はわたしの横に来て並んだ。わたしがおもいきり背伸びをしても、ケン坊の胸までしか届かない。ケン坊はその大きなてのひらにちょうどいい大きさの石をのせて、ぐっと肩を落とした。そのまますいと石を投げる。石は水面を何回も切って、向こう岸に近いところまで飛んだ。(川上弘美「水かまきり」)

主人公の「わたし」は、河口近くの街に住む少女です。「ケン坊」は「わたし」の近所に住んでいる年上の青年で、「わたし」はかなり小さい頃から「ケン坊」のことを知っていることが、上の一節からうかがえます。

ここで注目してほしいのが、太字にした「家に帰ってきてから、ケン坊はかすかにしか笑わなくなってしまった。昔はあんなにふわっと大きく笑ったのに。」という部分です。この部分から明示的に読み取れることは以下の4点です。

⑵①「ケン坊」は一時期、家を出ていたことがある。②家を出る前、「ケン坊」はふわっと大きく笑っていた。③家に帰ってきてから、「ケン坊」はかすかにしか笑わなくなった。④「わたし」は③を残念だと感じている。

④はなぜそう分かるのか?と疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、これは「のに」という接続助詞の辞書的意味から分かります。「のに」を辞書で調べると、

予想と食い違う事態になって残念だという気持ちを表す。恨みや非難の気持ちがこもることが多い。(『明鏡国語辞典 第二版』)

とあるので、語り手である「わたし」が「ケン坊」の変化を残念に思っていることが分かります。(これは日本語学でいう「対事的モダリティ」を表示する助詞であると考えられます。「対事的モダリティ」を表示する助詞については、また別の機会にまとめてみたいと思います。)

これは直接的には「ケン坊」の行動の変化(と、それに対する「わたし」の態度)を表現した文です。「ケン坊」の行動が変化した理由や、その時の彼の心理は、この文中には明示されていません。

2. 登場人物の置かれている状況の整理

しかしながら、⑴の後に続く部分を読んでみると、それらを推測する手がかりを得ることができます。

ケン坊は、高校在学中にプロ野球の投手として球団に指名されたのだ。指名だのプロだのという言葉の意味が、そのころのわたしにはわからなかった。入団の四年後、ケン坊は練習中に利き腕を怪我した。数か月後に新聞に載った「進藤、自由契約に」という言葉の意味を、もうわたしは理解できるようになっていた。「キャンプ」だの「遠征」だので家に居つかなかったケン坊が家に戻ってきたのは、それからしばらくしてからである。(同上)

⑶の太字にした部分と、上で書いた⑵の①から、

⑷「ケン坊」が家を出ていたのは、高校在学中にプロ野球の投手として球団に入団し、球団の「キャンプ」や「遠征」などに行っていたからである。

ということが分かります。また、⑵の③で「ケン坊」が家に帰ってきた理由もここから読み取ることができるでしょう。(「自由契約」とは要するに「球団を解雇されること」です。)

⑸「ケン坊」が家に帰ってきたのは、入団から四年後、練習中に利き腕を怪我し、球団を解雇されたからである。

⑵に⑷と⑸の内容を付け加えて、さらに時系列順に並び替えてみましょう。

⑹家を出る前、「ケン坊」はふわっと大きく笑っていた。その後、高校在学中にプロ野球の投手として球団に入団し、球団の「キャンプ」や「遠征」などに行っていたため、彼は家を出た。しかし、入団から四年後、練習中に利き腕を怪我し、球団を解雇されたために、彼は家に帰った。家に帰ってから、彼はかすかにしか笑わなくなった。

3. 状況からの登場人物の心理の推測

以上において、「ケン坊」の置かれている状況を時系列的に整理しました。それは(6)のようなものでした。これに基づいて、「ケン坊」の行動が変化した原因を推測していきます。

3-1. 小説における「原因」の探し方

まずは常識的な「原因」の探し方について考えてみましょう。私たちが普段、出来事の「原因」を探す際に用いている方法は、およそ、次のようなものでしょう。

⑺2つの出来事PとQが、時間的に連続して起こったとき、先に起こった出来事Pが、後に起こった出来事Qの原因である。

この⑺に基づいて、「ケン坊」が「かすかにしか笑わなくなった」原因を推測してみると、⑹の以下の部分がその条件に当てはまっていることが分かります。

⑻しかし、[ケン坊は]入団から四年後、練習中に利き腕を怪我し、球団を解雇されたために、彼は家に帰った。

しかし、これだけでは、「ケン坊」の行動が変化した原因としては不十分です。例えば、小説の内容からは離れますが、

⑼以前はよく話していたタケシだったが、両親が離婚してからは、途端に無口になってしまった。

という事例を考えた場合、「タケシが無口になった」という出来事の直前に起こった、文中に明示されている出来事は「彼の両親が離婚したこと」ですが、「両親が離婚したこと」だけが「タケシが無口になったこと」の原因とするのは十分とは言えません。なぜなら、「両親が離婚しても、タケシは無口にはならなかった」という場合も十分考えられるからです。

したがって、小説の登場人物の行動が変化した「原因」を探す際には、⑺を改訂した以下のような方法を用いる必要があります。

*⑺2つの出来事PとQが、時間的に連続して起こり、かつ、「Pが起こってもQは起こらない」場合が(稀にしか)想定できないとき、先に起こった出来事Pが、後に起こった出来事Qの原因である。

この*⑺に基づいて考えると、⑻は「ケン坊がかすかにしか笑わなくなった」ことの原因としては不十分であることが分かるでしょう。なぜなら、

⑽ケン坊は入団から四年後、練習中に利き腕を怪我して、球団を解雇されたが、以前と同じく、ふわっと大きく笑っていた。

という場合も十分に想定できるからです。

3-2. 行動の変化を説明する心理

文中に明示された出来事だけでは、*⑺の条件を満たすことができない場合、そのような時こそ、登場人物の心理を問題にすべき時です。

⑾ケン坊は入団から四年後、練習中に利き腕を怪我し、球団を解雇されたために、家に帰った。それで、ケン坊は[  ]という心理状態になった。だから、家に帰ってから、彼はかすかにしか笑わなくなった。

⑾の空所に一体どのような「ケン坊」の心理状態を補えば、彼の行動の変化を説明できるでしょうか? それはおそらく、「自分の将来に絶望する」といった心理状態ではないでしょうか。

⑿ケン坊は入団から四年後、練習中に利き腕を怪我し、球団を解雇されたために、家に帰った。それで、ケン坊は自分の将来に絶望した。だから、家に帰ってから、彼はかすかにしか笑わなくなった。

「自分の将来に絶望した」人間が、それにもかかわらず、以前と変わらず「ふわっと大きく笑っている」という事態は、たとえ想定可能であったとしても、きわめて稀な事態です。それゆえ、この補足された心理状態は「ケン坊」の行動が変化した原因としての条件*⑺を満たしていると考えられます。

4. 出来事の「にかわ」としての心理

以上のように、今回は、登場人物の置かれた状況や、行動の変化などから、文中に明示されない心理を推測する方法について説明しました。

具体的な手順としては、①まず登場人物の置かれた状況を整理し、②それに基づいて、登場人物の行動が変化した原因として、その心理を推測する、という二段構えになります。

文中に明示されない登場人物の心理とは、いわば小説の読者が、文中に明示された出来事(それ自体としては互いに独立した出来事)を接着するために用いる「にかわ」のようなものであると言えるでしょう。


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