11月18日
11月18日
デザイナーが一般人より、ゴミの問題を気にかけやすいのは、単純にゴミというものが美しくないからだと思う。
暮らしの中で、美しくない物が側にある時、人は疲弊し、美しい物に囲まれていれば、創造性が生まれる。それは本質的な原則である。それゆえにデザイナーは「美しいものを作る」という仕事をするし、暮らしの中で「ゴミを処分する」ことも同様の価値と言える。
ゴミをいかに処分するかを突き詰めて考えて行くと、「ゴミを出さないこと」が理想であることに気づく。つまりゴミになるものを買わない、食事から出る生ゴミは堆肥として利用する、そんな習慣が身の回りのゴミを激減させる。「ゴミの回収日」に振り回されたり、ゴミ出しにお金をかけたりすることも無くなる。
いま一度考えたいのは、人の暮らしは「食事・排泄・睡眠」であるということ。着ることも含めると「衣・食・住」という表現になる。その条件が満たされていれば、究極のところ、貨幣さえ必要が無くなる。シンプルな暮らしを始めてみると、そういうところに行きつくことになる。
いかにシンプルな生活をしていても、食事と排泄をすればゴミが出る。排泄物をゴミというのは違和感があるが、身の回りにあるべきものではないもの、という意味ではゴミと言える。衣類も着なくなってしまえばゴミである。そう考えると、人間がいかにシンプルな暮らしをしても、最低限の営みでゴミは出る。
だが、希望はある。食事に関するゴミというのは、本来ほぼ100%土壌に帰すことが出来る。それを梱包したパッケージ類が大量のゴミとして出るわけで、純粋な食事に関しては、ほとんどゴミにならないか、土壌に帰る。パッケージ類を回収場所に返却する習慣を身につけ、自宅にコンポストを設置すれば、食事に関するゴミはほとんど無くなる。
家に次々とゴミが溜まって行く人が多い。「汚部屋」という社会現象は現代の不幸といえる。物質的に貧しかった時代には「汚部屋」は生まれにくかった。現代は物質に溢れ、物を買うだけ買わされて、処分の仕方を教わらない。結果的に人は身体を壊し、医療現場が混雑し、たくさんの社会的費用がかかる。部屋が汚い人が多いというのは、ただ単に個人の問題ではなく、社会的損失だということをあらためて考えてみた方がいい。